田州(でんしゅう)は、中国にかつて存在した唐代から清代にかけて、現在の広西チワン族自治区百色市一帯に設置された。

概要

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開元年間に田州が置かれた。742年天宝元年)、田州は横山郡と改称された。758年乾元元年)、横山郡は田州の称にもどされた。田州は嶺南道の邕管十州に属し、都救恵佳武竜横山如頼の5県を管轄した[1]805年貞元21年)に田州は廃止されたが、後に再び設置された[2]

のとき、田州は邕州都督府の下の羈縻州となり、右江道に属した[3]

のとき、田州路軍民総管府が置かれた。田州路は湖広等処行中書省に属した[4]

1369年洪武2年)、により田州路は田州府と改められた。1528年嘉靖7年)、田州府は田州に降格された。田州は広西等処承宣布政使司に属した[5]

1875年光緒元年)、により田州は廃止され、恩隆県が置かれた[6]

脚注

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  1. ^ 旧唐書』地理志四
  2. ^ 新唐書』地理志七上
  3. ^ 宋史』地理志六
  4. ^ 元史』地理志六
  5. ^ 明史』地理志六
  6. ^ 清史稿』地理志二十