田島ひで
田島 ひで(たじま ひで、1901年1月24日 - 1976年1月12日)は日本の政治家、婦人運動家、労働運動家、平和運動家。衆議院議員(日本共産党公認)を1期務めた。
田島 ひで たじま ひで | |
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『日本女性運動資料集成 第4巻』(不二出版、1994年)より | |
生年月日 | 1901年1月24日 |
出生地 | 日本 愛知県 |
没年月日 | 1976年1月12日(74歳没) |
所属政党 | 日本共産党 |
選挙区 | 旧愛知1区 |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 1949年1月23日 - 1952年8月28日 |
来歴
編集愛知県出身[1]。1920年、新婦人協会の書記に就いた。1926年に婦人労働調査所を立ち上げ、機関紙『未来』を刊行するに至る[1]。1929年には東京市電バスガールへのオルグ活動により検挙[1]。
1946年、1947年の衆院選に日本共産党公認で立候補し落選。1949年の第24回衆議院議員総選挙で愛知県第1区から出馬し、初当選を果たした[1]。トップ当選であった[2]。当選1回。衆議院議員任期中の1950年、平和と生活防衛を求める国際民主婦人連盟のメッセージに呼応して、ポツダム宣言に基づく全面講和を訴えた[3]。
1976年1月12日死去。74歳[1]。
政歴
編集- 1946年 第22回衆議院議員総選挙 愛知県第1区 37288票 落選[4]
- 1947年 第23回衆議院議員総選挙 愛知県第1区 16212票 落選[5]
- 1949年 第24回衆議院議員総選挙 愛知県第1区 64598票 当選[2]
- 1952年 第25回衆議院議員総選挙 愛知県第1区 23984票 落選[6]
- 1953年 第26回衆議院議員総選挙 愛知県第1区 24567票 落選[7]
- 1955年 第27回衆議院議員総選挙 愛知県第1区 26741票 落選[8]
著書
編集- 田島ひで『ひとすじの道―婦人解放のたたかい五十年』青木書店、1968年3月25日。