聖武朝の神亀3年(726年)正月、路虫麻呂・阿倍粳虫・大宅広麻呂・粟田馬養・紀宇美らとともに正六位上から従五位下に昇叙する。天平元年(729年)8月、改元時の叙位として、従五位上に昇っている。
天平2年度(730年)の「大倭国正税帳」に「依(天平元年)六月七日省符、給従五位上田口朝臣家主百斛」とあり、添上郡の正税を100斛支給されたことが見える。
『続日本紀』による。
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