田原浩史
田原 浩史(たはら ひろし、1965年5月17日 - )は、テレビ朝日の社員。元アナウンサー。
たはら ひろし 田原 浩史 | |
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プロフィール | |
出身地 | 日本 神奈川県相模原市 |
生年月日 | 1965年5月17日(59歳) |
最終学歴 | 慶應義塾大学文学部卒業 |
勤務局 | テレビ朝日 |
部署 | 総務局 |
活動期間 | 1988年 - 2019年 |
ジャンル | 報道系 |
公式サイト | 田原浩史プロフィール |
出演番組・活動 | |
出演経歴 | 本文参照 |
その他 | テレビ朝日アスクゼネラルマネジャー(2010年4月 - 2013年7月) |
来歴・人物
編集神奈川県立相模原高等学校を経て慶應義塾大学文学部へ進学。大学卒業後の1988年に、アナウンサーとしてテレビ朝日へ入社した。同期入社のアナウンサーは田中真理子(現在は退社)。卒業後に同大学の大学院で国語学を専攻する予定だったが、大学院受験への試験勉強中にたまたま同局のアナウンサー試験を受けたところ、採用に至ったという[1]。
テレビ朝日への入社後は、スポーツ中継の実況・リポーターや、ニュース番組のキャスターを担当。『ANN NEWS&SPORTS』の土曜版では、2002年4月6日から2012年9月30日の放送終了まで、10年半にわたってニュースキャスターを務めた。また、2002年10月から2009年5月7日までは、『スーパーJチャンネル』木曜日の特集企画「迷宮の扉」で日本各地の現場を取材。2006年4月頃の滋賀県取材で、47都道府県踏破を達成した。このうち、沖縄県にはゴルフの中継で訪れたのみだったが、後に「迷宮の扉」の取材でも赴いている。
また、テレビ朝日の公式サイトでは、アナウンス部の有志で結成した「日本語研究室」の主任研究員を担当。2010年4月から2013年7月までは、当時の先輩アナウンサー・松井康真の後任として、テレビ朝日アスクのゼネラルマネジャー(学校長)を務めていた。
2013年8月からは、中山貴雄と入れ替わる格好でアナウンス部に復帰。復帰後は、同部の管理職(統括担当部長)を務めた関係で、放送にはほとんど登場していなかった。
2019年7月1日付でアナウンス部を離れ、総務局へ異動となった。
過去の出演番組
編集代表で務めた報道・情報ワイドショー番組
期間 | 番組名 | 役職 | |
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1989年10月 | 1990年3月 | やじうまワイド | スポーツキャスター |
1990年9月 | 600ステーション | 金曜日スポーツキャスター | |
1995年4月 | 1995年9月 | ステーションEYE | |
2002年4月 | 2002年9月 | スーパーモーニング | ナレーター |
2009年5月 | スーパーJチャンネル | 木曜日『迷宮の扉』レポーター | |
2012年9月 | ANN NEWS&SPORTS | 土曜版ニュース担当キャスター |
その他