田中 里子(たなか さとこ、1925年10月7日-2007年3月28日)は、市民運動家、元全国地域婦人団体連絡協議会事務局長。

たなか さとこ

田中 里子
生誕 渡辺里子[1]
(1925-10-07) 1925年10月7日
東京都京橋[1]
死没 (2007-03-28) 2007年3月28日(81歳没)
死因 多臓器不全
国籍 日本の旗 日本
民族 日本人
出身校 実践女子専門学校
職業 市民運動家
活動期間 1948年 - 2007年
肩書き 全国地域婦人団体連絡協議会事務局長
任期 1963年 - 1986年
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経歴

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東京都京橋生まれ。1945年実践女子専門学校卒。在学中は学徒動員で「風船爆弾」を作るも、東京大空襲の影響で世田谷に移住する[1]

生田花世の松花塾で詩や短歌を習い[1]山高しげりのもとで1952年から全地婦連事務局に勤め、1963年、事務局長(1986年まで)。国民生活審議会委員。原水爆禁止の3団体(原水禁原水協、市民運動)の統一行動に挺身した。

1978年、第1回国連軍縮特別総会において日本代表として演説した。

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出典

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  1. ^ a b c d NWEC実践研究 第2号「田中里子による複合キャリアの形成過程」 (PDF) - 国立女性教育会館

外部リンク

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