田中昌彦
空手家
田中 昌彦(たなか まさひこ、1941年2月24日 - )は、東京都出身の空手家。日本空手協会八段・前副首席師範・現技術局顧問IAKF世界大会の第一回、二回の優勝者。
来歴
編集東京都出身。父親の仕事の都合で小学生、中学生時代は日本各地へ転校を繰り返す[1]。中学時代は柔道に明け暮れ、高校一年を京都の立命館高等学校で過ごした後、二年生から東京の日本大学鶴ヶ丘高等学校へ転校、 ラグビー部を創設し右のロックで活躍する。[1]
日本大学経済学部にラグビー推薦で入学、大学一年生の時に父親を亡くし、林業を専門に勉強するため二年生の時に農獣医学部に転部、在学中に日本空手協会本部の四谷道場に通う。日本大学空手部にも入部。[1]
大学卒業後会社員となり、その後、31歳の時、空手の指導員としてデンマークに渡った。デンマークに四年滞在したのち35歳で正式に協会の指導員となる。[1]1980年の第3回IAKF世界大会の団体部門優勝を最後に一時引退、46歳で復帰し、第29回全国空手道選手権大会でベスト8になるなど、日本空手協会が主催する選手権大会で活躍し「覇者」と称された。
杖道は59歳より始め、紘武館、松村重紘杖道範士八段に師事している。
主な戦績
編集主な著書
編集- 覇者 田中昌彦の組手(ベースボールマガジン社)
- 覇者 田中昌彦の組手(英・独・ハンガリー語訳)
映像作品
編集- 覇者の組手 全5巻(チャンプ)