田中 敬吉(たなか けいきち、1897年(明治30年)10月23日 - 1975年(昭和50年)1月13日)は、日本の機械工学者。第33期日本機械学会会長。東京帝国大学教授、千葉工業大学教授・学長、上智大学教授を歴任。東京帝国大学航空研究所で、航研機A-26の開発に携わった。

三重県亀山市出身[1]第八高等学校を経て、1922年東京帝国大学機械科卒業。東京帝国大学航空研究所嘱託、助教授を務め、1929年「円錐座吸気弁の空気の流動研究(実験的研究・理論的研究)」により工学博士を取得。1930年航空原動機研究のため欧米を訪れた後、1933年教授となる。1939年より東京工業大学教授を兼任。1949年千葉工業大学学長、1957年名古屋大学教授、1961年上智大学教授・理工学部長[2][1]。1970年、勲二等瑞宝章を受章[3]

義弟に画家の森芳雄がいる[2]

脚注

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  1. ^ a b 『上智大学史資料集 補遺 (1903~1969)』上智大学、1993年、p.209。
  2. ^ a b 『人事興信録 第25版 下』人事興信所、1969年、た35頁。
  3. ^ 『日本叙勲者名鑑 昭和39年4月~昭和53年4月 上』日本叙勲者協会、1978年、p.1635。