田中弘清
日本の神職。石清水八幡宮宮司。
田中 弘清(たなか ひろきよ、1934年〈昭和9年〉10月17日 - 2014年〈平成26年〉7月8日)は、日本の神職。石清水八幡宮宮司。
時代 | 昭和時代 - 平成時代 |
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生誕 |
1934年10月17日 京都府 |
死没 | 2014年7月8日(79歳没) |
神号 | 田中弘清大人命 |
主君 | 昭和天皇→上皇 |
氏族 | 紀姓田中家 |
父母 | 父:田中文清 |
兄弟 | 弘清、恆清 |
配偶者 | 和 |
奉職神社 |
春日大社(1967年 - 1979年) 石清水八幡宮(1979年 - 2014年) |
生涯
編集昭和9年(1934年)10月17日、田中文清の子として京都府に生まれた[1]。
昭和41年(1966年)、國學院大學文学部神道学科を卒業した[1]。
昭和42年(1967年)、春日大社出仕となり、翌昭和43年(1968年)に同社権禰宜、昭和54年(1979年)に禰宜に就任した[1]。
昭和54年(1979年)、累代社家として奉職していた石清水八幡宮に還り、同宮権宮司に就任[1]。また昭和55年(1980年)から昭和57年(1982年)まで、ボーイスカウト綴喜第1団の団委員長を務めた[2]。昭和59年(1984年)から翌昭和60年(1985年)まで京都八幡ロータリークラブ幹事を務めた[* 1]。
昭和61年(1986年)、宮司に昇任した[1]。『神道人名辞典』, p. 500, 「田中弘清」および「田中文清」によれば、このころには父と共に鳩ヶ峰山麓の八幡柴座に居を構えていた。平成2年(1990年)から翌平成3年(1991年)まで、京都八幡RC会長を務めた[* 1]。
平成26年(2014年)7月8日、肺炎のため79歳で帰幽した[+ 2]。神号は田中弘清大人命(たなかひろきようしのみこと)[+ 1]。9月22日、「石清水八幡宮名誉宮司田中弘清大人命を偲ぶ会」が京都市のホテルで開催され、弟の恆清が挨拶した[+ 1][注釈 1]。
系譜
編集脚注
編集注釈
編集書籍出典
編集ウェブ新聞出典
編集- ^ a b c d 「田中弘清師(石清水八幡宮名誉宮司)を偲ぶ会に川端理事長らが参列」『立正佼成会ニュース』立正佼成会。オリジナルの2023年10月29日時点におけるアーカイブ。
- ^ a b 「石清水八幡宮名誉宮司・田中弘清さん死去」『朝日新聞デジタル』朝日新聞社、2014年7月9日。オリジナルの2014年7月28日時点におけるアーカイブ。
ウェブサイト出典
編集- ^ a b “京都八幡ロータリークラブ歴代会長・幹事”. 京都八幡ロータリークラブ. 2024年3月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年3月22日閲覧。
参考文献
編集その他の役職 | ||
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第13代 松永武 |
京都八幡ロータリークラブ会長 第14代:1990年 - 1991年 |
第15代 伊佐重輝 |
第7代 田中敦人 |
京都八幡ロータリークラブ幹事 第8代:1984年 - 1985年 |
第9代 中村正名 |