田中 安右兵衛(たなか やすえもん、寛政5年(1793年) - 天保14年3月4日(1843年4月3日))は、江戸時代後期の一揆指導者[1][2]。
近江水口藩領深川(現:滋賀県甲賀市甲南町深川)の庄屋[1][2]。
天保13年(1842年)、江戸幕府勘定方の市野茂三郎による検地増徴に反対し、野洲・甲賀・栗太3郡の農民約1万2000人が蜂起した近江天保一揆(甲賀一揆)を指導した一人である。検地は阻止されたが、同志の土川平兵衛らと共に捕えられ、江戸へ護送される途中、桑名で死亡した[1]。