田中 園子(たなか そのこ 1919年5月11日 - 2007年1月5日)は日本の音楽家ピアニスト、教育者。

経歴

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1919年大正8年)東京都出身。関東大震災に被災後、兵庫県に転居[1]。10歳頃よりピアノを始め、母、田中静(ヴァイオリニスト、1893年明治26年)8月4日[2]~没年不詳)から手ほどきを受ける。 1937年昭和12年)神戸第一高等女学校卒業。 アレクサンダー・ミハイロビッチ・ルーチンレオ・シロタに師事[3]し、1938年(昭和13年)11月、第7回日本音楽コンクールピアノ部門第1位[4]。翌1939年(昭和14年)3月、ビクターよりイタリア協奏曲でレコードデビューしたが、以降ほとんどソロでの活動はせず、伴奏ピアニストの第一人者として、ラジオやステージ等活発な活動を展開。三浦環平岡養一諏訪根自子巌本真理辻久子渡辺茂夫らの伴奏を歴任。1969年(昭和44年)昭和音楽短期大学創立に伴い教授に就任し、多くの学生を育てた。1984年(昭和59年)昭和音楽大学教授。1995年(平成7年)昭和音楽大学名誉教授。

晩年は交通事故背骨を3箇所折る大怪我を負うが復帰。86歳となった2005年(平成17年)9月29日、当時日本最高齢のピアニストとしてソロリサイタルを行った[5]

2007年(平成19年)1月5日、急性心不全のため東京都内の自宅で死去[6]。87歳没(享年89)。

主な伴奏録音

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独奏者 収録アルバム レーベル
平岡養一 木琴の世界 フォンテック
RFO-1023
平岡養一 SINGING XYLOPHONE 東芝音工
JSC 3002
平岡養一 木琴の子守唄 フォンテック
FOCD-9040
平岡養一 昭和の名演奏 歌う木琴 キングレコード
KICS-4035
工藤昭二 マリンバのひびき 東芝音工
LRS291
工藤昭二 マリンバはうたう 東芝音工
TA-6010
渡辺茂夫 神童 <幻のヴァイオリニスト> 東芝EMI
TOCE-9154/5
渡辺茂夫 続・神童 東芝EMI
TOCE-9304
諏訪根自子 永遠なれ 諏訪根自子 キングレコード
KICC-1064
巌本真理 サラサーテ
アンダルシアのロマンス
國際文化振興會
KBS-1003A
辻久子 アルベニス
マラゲーニャ
國際文化振興會
KBS-1003B
辻久子 ツィゴイネルワイゼン
モスクワの思い出
『世界の音楽9』収録
小学館/朝日ソノラマ

出典

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  1. ^ 栗原幸信 ヴァイオリンリサイタル”. 2024年6月19日閲覧。
  2. ^ 音楽年鑑 昭和16年度
  3. ^ 新撰 芸能人物事典 明治~平成「田中 園子」の解説”. 日外アソシエーツ (2010年). 2022年9月29日閲覧。
  4. ^ 初の文部大臣賞に十三歳の辻久子『東京日日新聞』(昭和13年11月21日)『昭和ニュース事典第6巻 昭和12年-昭和13年』本編p59 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年
  5. ^ 田中園子ピアノリサイタル”. 伊那谷ネット (2005年10月2日). 2022年9月29日閲覧。
  6. ^ 田中園子さん死去/ピアニスト、昭和音大名誉教授”. 四国新聞 (2007年1月6日). 2024年6月19日閲覧。