田中 千金(たなか ちかね、大正元年(1912年)12月 - 昭和53年(1978年))は、日本病理学者。医学博士黄疸発生に関する病理学的研究者として著名であった[1]正四位勲三等[1]

経歴

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鳥取県米子市博労町に生まれた[1]。田中猗猗(いい)の長男[1]

米子中(現在の米子東高校)、松江高を経て1937年九州帝国大学医学部を卒業し、同病理学教室に入る[1]

1942年医学博士の学位を受ける(論文の題は 「ワイル氏病黄疸の成因に関する実験的研究 [2]」)[1]。翌年旅順医専教授となる[1]

1947年米子医専(現鳥取大学医学部)教授となり病理学を担当する[1]。翌年米子医科大(現鳥取大学医学部)助教授[1]

1951年に鳥大教授となり、第2病理学教室を主宰した[1]1968年鳥大講師を併任する[1]

人物像

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趣味は音楽[3]宗教神道[3]。住所は米子市錦町[3]

家族

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田中家

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(鳥取県米子市博労町・米子市錦町

参考文献

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  • 『鳥取県大百科事典』(編集・新日本海新聞社鳥取県大百科事典編集委員会)1984年 555頁

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k 『鳥取県大百科事典』 555頁
  2. ^ 博士論文書誌データベース
  3. ^ a b c d e f 『新日本人物大観』(鳥取県版)1958年 タ…171頁。