生駒直武
日本の江戸時代中期~後期の武士・朱子学者。加賀藩人持組生駒直政の子で、生駒勘右衛門家5代当主。公事場奉行・寺社奉行を歴任
生駒 直武(いこま なおたけ、元禄8年(1695年) - 宝暦12年9月15日(1762年10月31日))は、江戸時代中期の加賀藩士。生駒勘右衛門家当主(家格人持組)。
時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 元禄8年(1695年) |
死没 | 宝暦12年9月15日(1762年10月31日) |
改名 | 内膳 |
別名 | 号(柳亭、万松楼)、字(君烈) |
藩 | 加賀藩士(人持組) |
氏族 | 生駒勘右衛門家 |
父母 | 父:生駒直政 |
子 | 直廉 |
概要
編集金沢の儒者伊藤莘野に師事し朱子学を学ぶ。延享2年(1745年)公事場奉行、宝暦5年(1755年)寺社奉行となる。宝暦12年、68歳で没した。元禄6年生まれで宝暦10年死去との説もある。著作に「柳亭集」「四書朱註四声弁疑」がある。
参考文献
編集- 日本人名辞典(講談社)