璞 歳之助(あらたま としのすけ、1797年寛政9年〉 - 1834年7月9日天保5年6月3日[1])は、現在の青森県西津軽郡(旧・陸奥国津軽郡)出身で伊勢ノ海部屋及び柏戸部屋に所属した力士。両部屋を往復する現役生活だった。本名は村山と伝わる。身長177cm。体重は不明。最高位は東前頭2枚目。同郷の柏戸利助を頼って入門したと伝わる。

経歴

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1814年4月場所に初土俵(三段目)。1815年3月場所に十両昇進[2]。しかしここで伸び悩み、9年後の1824年1月場所で漸く新入幕を果たした。1828年3月場所では、緋縅力弥に次ぐ7勝1敗1休1分の優勝次点の好成績を挙げた。10年間も幕内にいたが、1834年1月場所終了後の6月3日、現役中のまま38歳で死去した。

主な成績

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  • 通算成績:110勝130敗10分13預6無49休 勝率.458
  • 幕内成績:62勝63敗5分5預2無49休 勝率.496
  • 現在在位:38場所
  • 幕内在位:20場所

改名歴

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  • 璞 安平(あらたま やすべい)1815年3月場所 - 1826年10月場所
  • 璞 歳之助(あらたま としのすけ)1827年3月場所
  • 璞 年之助(あらたま としのすけ)1827年11月場所
  • 璞 歳之助(あらたま としのすけ)1828年3月場所 - 1834年1月場所

[3]

出典

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関連項目

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