瑞龍寺 (大阪市)
大阪府大阪市浪速区元町にある仏教寺院
瑞龍寺(ずいりゅうじ)は大阪府大阪市浪速区元町にある黄檗宗の仏教寺院。龍・人魚・河童のミイラを所蔵していることでも知られる[1]。
瑞龍寺 | |
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山門 | |
所在地 |
大阪府大阪市浪速区元町1-10 北緯34度39分51.1秒 東経135度29分50.3秒 / 北緯34.664194度 東経135.497306度 |
山号 | 慈雲山 |
宗派 | 黄檗宗 |
本尊 | 薬師如来 |
中興年 | 寛文10年(1670年) |
中興 | 鉄眼道光 |
別称 | 鉄眼寺 |
法人番号 | 1120005001237 |
歴史
編集創建年月不明。はじめは薬師堂であったが、寛文10年(1670年)僧鉄眼道光が再興して瑞龍寺と改称、大坂での黄檗布教の拠点になり、俗に鉄眼寺と呼ばれる[2]。 当時は広大な寺域に諸堂、蓮池、藍畑、綿畑が広がる風景で文人墨客に愛された[3]。
鉄眼は隠元に心服し、師・木庵より授かった経典6,957巻から印刷を決心。一切経の版木の費用を日本全国を巡り托鉢。折からの堀江西一帯の大洪水に集めた募財を被害者救済に使った。2度目の募財ができると、今度は摂河泉平野の大飢饉で借金までして難民救済に当たった。3回目の托鉢でようやく募財が集まったのは14~15年も経っていた。大願成就して、53歳で鉄眼寺で没し「七転八倒五十三年」の言を遺した。 弟子たちは印刷した二千部の一切経を宗旨を問わず日本各地の寺院に納めたという[4]。 現在、一切経版木48,275枚(重要文化財)は萬福寺塔頭宝蔵院(宇治市)の収蔵庫に納められて、今日でも刷られている。
- 昭和20年(1945年)3月13日の大阪大空襲で全焼。
- 昭和25年(1950年)本堂を木造で再建(後に鉄筋コンクリート造で再建)。
境内
編集交通
編集- Osaka Metroなんば駅より徒歩6分
出典
編集関連図書
編集関連事項
編集外部リンク
編集- 瑞龍寺のホームページ - ウェイバックマシン(2016年11月26日アーカイブ分)