瑞穂春海
瑞穂 春海(みずほ しゅんかい、1911年3月22日 - 1995年6月19日)は、日本の映画監督、脚本家である。
みずほ しゅんかい 瑞穂 春海 | |
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本名 | 同 |
生年月日 | 1911年3月22日 |
没年月日 | 1995年6月19日(84歳没) |
出生地 | 日本 長野県長野市 |
死没地 | 日本 長野県長野市 |
国籍 | 日本 |
職業 | 映画監督、脚本家 |
活動期間 | 1934年 - 1966年 |
活動内容 |
1934年 松竹蒲田撮影所入社 1940年 監督昇進 1954年 松竹を退社 1955年 東京映画と本数契約 1960年 大映入社 1966年 大映退社、引退 |
主な作品 | |
『女の気持』 『家に三男二女あり』 『殺陣師段平』 |
人物・来歴
編集1911年(明治44年)3月22日、長野県長野市に善光寺塔頭蓮華院の長男として生まれる[1]。
旧制・長野県長野中学校(現在の長野県長野高等学校)、旧制・姫路高等学校(現在の神戸大学)をそれぞれ卒業後[1]、東京帝国大学に入学、同文学部で美術史学を専攻し、同学を1934年(昭和9年)に卒業した[1]。卒業後、同郷の映画監督・池田義信の在籍する松竹キネマの松竹蒲田撮影所に入社した[1]。池田のほか、深田修三、渋谷実に師事した[1]。
1940年(昭和15年)、三浦光子主演の映画『女の気持』で監督に昇進した[1][2]。第二次世界大戦開戦後の1943年(昭和18年)、河村黎吉・吉川満子主演の『家に三男二女あり』を監督した[2]。
終戦後第1作は、1947年(昭和22年)の上原謙・木暮実千代主演の『消えた死体』である[2]。1950年(昭和25年)、横山隆一の漫画を原作に笠置シヅ子・堺駿二主演の映画『ペ子ちゃんとデン助』を監督したが、同作の取材で脚本家の中川隆三と競輪場に通いつめた[1]。このころ美空ひばり主演作品を手がけている[2]。1954年(昭和29年)、ラジオ東京(現在のTBSラジオ)の人気放送劇『チャッカリ夫人とウッカリ夫人』を原作に、淡島千景演じる「チャッカリ夫人」だけをクローズアップした映画『お景ちゃんのチャッカリ夫人』を最後に、同年、松竹を退社した[1]。
1955年(昭和30年)からは、『お景ちゃんのチャッカリ夫人』等で組んだ脚本家・長瀬喜伴に誘われ東京映画と本数契約した[1]。移籍第1作は長瀬の脚本、上原謙主演の『明日の幸福』で、同年2月12日に東宝が配給して公開された[2]。同年はさらに新東宝で、長瀬の脚本、大木実・藤田進の主演でブラジルでのロケーション撮影を敢行した『リオの情熱』を監督した[1][2]。
1960年(昭和35年)からは大映に移籍し、その第1作は長瀬の脚本、川口浩・弓恵子主演の映画『すれすれ』を大映東京撮影所(現在の角川大映撮影所)で監督した[2]。1964年(昭和39年)には、謝国権の原作を映画化した『これからのセックス 三つの性』を監督[2]、1966年(昭和41年)、田宮二郎主演の映画『復讐の切り札』を最後に引退した[1]。
おもなフィルモグラフィ
編集松竹大船撮影所
編集- 『女の気持』 : 1940年
- 『家に三男二女あり』 : 1943年
- 『消えた死体』 : 1947年
- 『ペ子ちゃんとデン助』 : 1950年
- 『父恋し』 Chichi Koishi : 1951年
- 『ひばりのサーカス 悲しき小鳩』 Hibari no Circus: kanashiki kobato : 1952年
- 『ひばりの悲しき瞳』 Hibari no kanashiki hitomi : 1953年
- 『お景ちゃんのチャッカリ夫人』 : 1954年
東京映画
編集東宝
編集- 『見事な娘』:1956年