王 含(おう がん、生没年不詳)は、中国三国時代蜀漢の武将。

生涯

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炎興元年(263年)、蜀漢がの侵攻を受けた際に、監軍として兵五千を率い、楽城を守備していた。楽城は李輔の兵一万に包囲され[1]、さらに鍾会の攻撃を受けたが、終戦まで陥落することなく持ち堪えた。

同年11月、鄧艾成都に迫ると、蜀漢の皇帝劉禅は降伏(蜀漢の滅亡)。剣閣を守る姜維、漢城を守る蔣斌らは鍾会の元へ降伏したが[2]、王含のその後の動向は不明。

三国志演義における王含

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小説『三国志演義』では第113回で初登場。姜維の北伐に従い、命によって祁山に陣営を築いたが、その場所には鄧艾が地下道を通しており、魏軍の夜襲を受けて敗れた。

その後は楽城を守備した点は史実と同じだが、劉禅降伏に先立ち、蔣斌と共に魏に降ったこととなっている。

出典

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脚注

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  1. ^ 『三国志』魏書 鍾会伝
  2. ^ 『三国志』蜀書 蔣琬