玉田美郎
玉田 美郎(たまだ よしお、1891年9月23日 - 1989年8月16日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。新潟県糸魚川市出身。法学者の玉田弘毅は息子。
玉田 美郎 | |
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生誕 |
1891年9月23日![]() |
死没 | 1989年8月16日(97歳没) |
所属組織 | 日本陸軍 |
軍歴 | 1913 - 1945 |
最終階級 | 陸軍中将 |
経歴
編集歩兵大隊長のときに短期の戦車補備教育をうけ、戦車第4大隊付として一年余勤務して歩兵にもどり、また昭和11年、陸軍戦車学校で師団軽装甲車要員の教官となって、以後戦車拡張期における部隊長たるべき人の標準的コースを歩んだ。
ノモンハン事件において独立混成第1旅団麾下の戦車第4連隊連隊長として戦史上初の装甲部隊による大規模な戦車夜襲を決行した。
年譜
編集著作
編集- 『ノモンハンの真相 戦車連隊長の手記』
脚注
編集- ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」163頁。