玉井義臣
玉井 義臣(たまい よしおみ、1935年2月6日 – )は、日本の社会運動家、教育者。「あしなが育英会」創始者・会長、「心塾」創立者・塾長。
たまい よしおみ 玉井 義臣 | |
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2012年撮影 | |
生誕 |
1935年2月6日(89歳) 大阪府 |
出身校 | 滋賀大学経済学部 |
職業 | 社会運動家、教育者 |
配偶者 | 脊椎ガンにて29歳で夭逝 |
来歴・人物
編集出生から「あしなが運動」開始まで
編集1935年2月6日、大阪府池田市に生まれる[1]。大阪府立池田高等学校を卒業後、滋賀大学経済学部に入学し、1958年に卒業。証券会社勤務等を経て、経済評論家として文筆活動に入る。1963年、母親が交通事故に遭ったことを契機に「交通評論家」としての活動を開始(母親は昏睡状態のまま36日後に死去)。また、妻も20代で脊椎ガンにて下半身不随となり、2年半後に死別[2]。これらふたつの「死」が、玉井の「あしなが運動」の原点となる。
交通遺児育英会
編集「あしなが運動」開始後は、自賠責保険の支払限度額引き上げなどの問題提起を行い、1966年からは「桂小金治アフタヌーンショー」(NET)で週1回行われた「交通事故防止キャンペーン」コーナーにレギュラー出演し、各界関係者と議論を戦わせ刑法211条改正実現等に尽力した。1968年10月、姉と甥をやはり交通事故で亡くした岡嶋信治らとともに、数寄屋橋で「交通遺児をはげます会」の旗揚げ街頭募金を行う。その後、交通遺児・遺族による文集『天国にいるおとうさま』が反響を呼び、衆議院予算委員会において異例の決議が行われ、翌1969年に財団法人交通遺児育英会が設立される。自身は専務理事に就任し、会長にはかつて「アフタヌーンショー」で玉井と激しい議論を交わした永野重雄が就く。玉井には有能な人材を発掘・リクルートする特異な才能があり、育英会の若手活動家の中には後に国会議員となる山本孝史・藤村修らがいた。
「心塾」と「あしなが育英会」の設立
編集1978年、東京都日野市旭ヶ丘に遺児のための学生寮「心塾」(2006年2月より「あしなが心塾」)を設立し、教育者としての道を本格的に歩むことになる。1990年に朝日新聞社から「朝日社会福祉賞」を授与される。この頃より、玉井の災害遺児救済運動への関与について、交通遺児育英会内部から「背信行為」などと攻撃する動きが現われる。その内部の人事においてはたびたび「官僚の天下り」疑惑が指摘されており、その天下り人事に対立した玉井は1993年、純粋な民間の組織として新たに「あしなが育英会」を設立する(会長には新日鉄社長を務めていた武田豊が就任し、自身は副会長)[3]。1994年に反玉井派の中心人物と目されていた宮崎清文(元総理府総務副長官)が交通遺児育英会の理事長に着任したことに伴い、同会専務理事を退任。社会学者の副田義也はこの件に関して、「自らが育てた交通遺児育英会を天下りしてきた高級官僚OBに乗っ取られ」と表現した[4]。
「理想的社会」の実現へ
編集1995年1月17日、阪神淡路大震災発生。以後はローラー調査と震災遺児のケアに奔走する。1998年「あしなが育英会」会長就任。1999年、世界150ヵ国以上の国々と日本全国から寄付を募り、遺児のケアを目的とした神戸レインボーハウスを設立。21世紀に入ってからは世界的規模による絶望的貧困削減を目指し、開発途上国にもレインボーハウスを設立。また、ニューヨークやアフガニスタン、イラクなどの世界各地から、戦争遺児・テロ遺児・エイズ遺児・災害遺児を招き、国際交流会を頻繁に開催する。2010年6月、集大成となる『だから、あしなが運動は素敵だ Psycho Critique 13』(批評社 ISBN 4826505272)を上梓。
年譜
編集- 1935年 - 大阪府にて出生
- 1954年 - 大阪府立池田高等学校卒業
- 1958年 - 滋賀大学経済学部卒業
- 1963年 - 母親が交通事故に遭う(昏睡状態のまま36日後に永眠)
- 1963年 - 朝日ジャーナルに「交通犠牲者は救われていない」を発表
- 1964年 - 「桂小金治のアフタヌーンショー」に交通評論家としてレギュラー出演
- 1969年 - 財団法人「交通遺児育英会」設立・専務理事就任
- 1969年 - ユックリズム提唱
- 1978年 - 交通遺児学生寮「心塾」(現「あしなが心塾」)設立
- 1990年 - 朝日社会福祉賞受賞
- 1993年 - 非営利組織「あしなが育英会」設立・副会長就任
- 1994年 - 「交通遺児育英会」専務理事退任
- 1998年 - 「あしなが育英会」会長就任
- 2010年 - 著書『だから、あしなが運動は素敵だ Psycho Critique 13』出版
- 2015年 - エレノア・ルーズベルト・ヴァルキル勲章受章[5]
- 2016年 - 第50回吉川英治文化賞受賞[6]
著書
編集単著
編集- 『株の兵法―名人100人のことば』(同文館出版、1963年)
- 『交通犠牲者―恐怖の実態を追跡する』(弘文堂、1965年)
- 『経済市況欄の見方』(同文館出版、1966年)
- 『示談―交通事故の知識』(潮出版社[潮新書]、1966年/改訂版、1968年)
- 『ゆっくり歩こう日本―くるまが地球を滅ぼす』(サイマル出版会、1973年)
- 『だから、あしなが運動は素敵だ Psycho Critique 13』(批評社、2010年)
編著
編集- 『天国にいるおとうさま』(サイマル出版会、1968年)
- 『明日があるから生きるんだ―君たちの青春のために』(サイマル出版会、1971年)
- 『母さん、がんばろうね―続・天国にいるおとうさま』(サイマル出版会、1974年)
- 『天国にいるおとうさま 改訂版』(サイマル出版会、1977年)
- 『母が泣いた日』(サイマル出版会、1979年)
- 『あしながおじさん物語』(サイマル出版会、1985年)
- 『交通遺児育英会十五年史』(交通遺児育英会、1985年)
- 『災害がにくい』(サイマル出版会、1986年)
共編著
編集- 『金融・証券・商品市場用語辞典』(同文館出版、1965年)
関連文献
編集- 副田義也著『あしなが運動と玉井義臣』(岩波書店、2003年)ISBN 4000220136