献公 (鄭)
献公(けんこう、生年不詳 - 紀元前501年)は、春秋時代の鄭の君主。姓は姫、名は蠆。
献公 姫蠆 | |
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鄭 | |
公(周制による爵位は伯) | |
王朝 | 鄭 |
在位期間 | 紀元前514年 - 紀元前501年 |
都城 | 新鄭 |
姓・諱 | 姫蠆 |
諡号 | 献公 |
没年 | 紀元前501年 |
父 | 定公 |
生涯
編集鄭の定公の子として生まれた[1]。紀元前514年4月、定公が死去すると[2]、献公は後を嗣いで鄭公として即位した[1]。紀元前506年、献公は晋・斉・魯・宋・蔡・衛などの諸侯とともに召陵の会盟に参加した[3]。紀元前504年、鄭軍は馮・滑・胥靡・負黍・狐人・闕外の6邑を攻撃した。鄭は魯の侵攻を受けて、匡を奪われた[4]。紀元前503年、献公は斉の景公と鹹で会盟した[5]。紀元前502年、晋の士鞅の侵攻を受けて、蟲牢を包囲された[6]。紀元前501年4月戊申、献公は死去し[7]、子の声公が鄭公として即位した[1]。
脚注
編集- ^ a b c 『史記』鄭世家
- ^ 『春秋左氏伝』昭公28年
- ^ 『春秋左氏伝』定公4年
- ^ 『春秋左氏伝』定公6年
- ^ 『春秋左氏伝』定公7年
- ^ 『春秋左氏伝』定公8年
- ^ 『春秋左氏伝』定公9年
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