猪俣範綱
平安時代末期から鎌倉時代にかけての武将、御家人
猪俣 範綱(いのまた のりつな、生年不明 - 1192年)は、平安時代末期から鎌倉時代にかけての武将、御家人。武蔵七党の猪俣党の当主。
『英勇五色合 早苗 青』「猪俣近平六則綱 越中前司盛俊」(歌川国芳画) | |
時代 | 平安時代末期 - 鎌倉時代 |
生誕 | 不詳 |
死没 | 建久3年11月(1192年) |
別名 | 小平六 |
墓所 | 高台院 |
主君 | 源義朝→源義平→源頼朝 |
氏族 | 小野氏武蔵七党猪俣党 |
父母 | 父:猪俣資綱 |
子 | 猪俣範高 |
保元の乱で源義朝に仕えた。平治の乱では源義平の下で軍功をあげた十七騎の雄将として知られている。また源頼朝・源義経にも仕え、一ノ谷の戦いで平盛俊を騙し討ちにしたとされている。
範綱の死後、始まりの時代は不詳だが、一族の霊を慰めるため猪俣百八燈という行事が毎年行われている。
外部リンク
編集- NPO葉山まちづくり協会 詳細考察、MAPあり