牛嶋天満宮
牛嶋天満宮(うしじまてんまんぐう)は、佐賀県佐賀市東佐賀町にある菅原道真を祀った神社。牛島天満宮の表記や牛島神社と呼ばれることもある[1]。
牛嶋天満宮 | |
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拝殿および本殿と大楠 | |
所在地 | 佐賀県佐賀市東佐賀町15-30 |
位置 | 北緯33度15分23.88秒 東経130度18分39.16秒 / 北緯33.2566333度 東経130.3108778度座標: 北緯33度15分23.88秒 東経130度18分39.16秒 / 北緯33.2566333度 東経130.3108778度 |
主祭神 | 菅原道真 |
創建 | 仁平元年(1151年) |
本殿の様式 | 三間社流造 |
主な神事 | 太鼓浮立(断絶) |
地図 |
歴史
編集社伝によれば、菅原道真から16代目となる牛嶋(菅原)教正が山浦郷古野城巨勢庄牛嶋村領主であった仁平元年(1151年)に社を創建。さらに教正から9代あとの家泰が永年五年(1508年)に再興し国司造営社となったとされる。「肥前古跡縁記」に、「蓮池町 牛の島に宮在りしを 鍋島勝茂公 佐嘉城を築かれるに当り、鬼門に移し祭るべし」とあり、元は佐賀市蓮池町牛嶋にあったものを、慶長年間の佐賀城下建設に際し佐賀城の鬼門となる北東を守護するため佐賀藩初代藩主の鍋島勝茂が現在の位置に移したものとみられている。境内の入り口にある鳥居の銘には"藤原朝臣勝茂…"とかすかに残っておりこれを裏付けている。
概要
編集鳥居を潜り石橋を渡ると楼門があり、その奥に西を正面として拝殿、本殿が建つ。楼門は一問一戸四脚門、屋根は切妻造本瓦葺で、19世紀中頃の建築と推定されている。本殿は三間社流造銅板葺、朱塗りの社殿で、17世紀後期の特徴を備える。拝殿は、入母屋造銅板葺、正面に軒唐破風を付し、様式から19世紀前半の建築と推定されている。
三方を水路に囲まれた境内には佐賀市の天然記念物に指定されている「牛島神社の楠」(樹齢1000年超と推定)や佐賀市の保存樹に指定されている「牛嶋天満宮のクスノキ」(推定樹齢600年)など古い樹木や、肥前鳥居、肥前狛犬など江戸時代から明治はじめの石造物も多く、これらと水路が一体となった姿は佐賀市を代表する重要な歴史景観であるとして佐賀市の「都市景観重要建築物等」に指定されている。
その他
編集かつては太鼓浮立が奉納されていたが伝統は途絶え、大太鼓が残るのみとなっていた。そこで神社のある循誘小校区の有志が中心となり太鼓浮立の復活と地域活性化と目的に葉隠太鼓保存会が結成されている。2006年4月に天満宮内に練習場が作られ活動の拠点となっている[2]。
2016年の熊本地震では石灯籠3基が倒壊する被害が出た[3]。
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肥前鳥居
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樹齢1000年(推定)の大楠は佐賀市の天然記念物に指定。
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堀と太鼓橋・楼門
脚注
編集- ^ 佐賀市天然記念物としての指定名称は「牛島神社の楠」、これとは別の保存樹の名称は「牛嶋天満宮のクスノキ」。また佐賀市教育委員会が現地に設置している案内看板には「牛島天満宮の楠」とある
- ^ 葉隠太鼓初打ち 佐賀市の牛島天満宮 佐賀新聞 - 2008年1月6日
- ^ 未明、大揺れ「5強」 水道管破損相次ぐ 県内6人重軽傷 /佐賀毎日新聞佐賀版 - 2016年4月17日
参考文献
編集- 牛嶋天満宮由緒(現地案内板)
- 肥前古跡縁記