牛島 秀一郎(うしじま[1] / うししま[2] ひでいちろう、1835年6月20日(天保6年5月25日[3][注釈 1])- 1898年明治31年)2月5日[3][4][注釈 2])は、明治期の実業家政治家衆議院議員、佐賀県会議長。

経歴

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肥前国小城郡多久原村[3]佐賀県[2]小城郡北多久村[4][5][6]北多久町[1]を経て現多久市北多久町[1]多久原)で生まれる。東原庠舎で学び[3]、さらに草場船山から漢学を学んだ[2][3][4][5]

1873年(明治6年)多久原村戸長に就任[3][4][5][注釈 3]。その後長崎で『西海日報』を創刊し自由民権運動を推進した[3]。1879年(明治12年)長崎県会議員[注釈 4]に選出され、佐賀県会議員、同常置委員、同3代議長(1887年11月-1889年10月)を歴任[1][2][3][4][5][6]。1892年(明治25年)2月、第2回衆議院議員総選挙で佐賀県第1区から中央交渉会所属で出馬して当選し[3][7]、議員倶楽部に所属し衆議院議員に1期在任した[2][6]

その後、実業界に転じ、焼米、柚ノ木原、坂口の炭鉱経営を行い、石炭の販路を香港上海などに拡大した[3][4][5]

親族

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脚注

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注釈

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  1. ^ 『佐賀県大百科事典』60頁では弘化3年5月25日。
  2. ^ 『佐賀県大百科事典』60頁、『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』91頁では、明治32年2月5日。
  3. ^ 各文献では多久原村長としているが町村制施行前で、当時は戸長が置かれていた。
  4. ^ 当時、現在の佐賀県区域は長崎県に含まれ、1883年5月に佐賀県が分離成立した。『多久市史 人物編』17頁。

出典

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  1. ^ a b c d 『佐賀県大百科事典』60頁。
  2. ^ a b c d e 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』91頁。
  3. ^ a b c d e f g h i j 『多久市史 人物編』17-18頁。
  4. ^ a b c d e f 『佐賀県歴史人名事典』78頁。
  5. ^ a b c d e 『佐賀 幕末・明治500人』第2版、18-19頁。
  6. ^ a b c 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』70頁。
  7. ^ 『衆議院議員総選挙一覧 上巻』59頁。
  8. ^ 『多久市史 人物編』156頁。

参考文献

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  • 『衆議院議員総選挙一覧 上巻』衆議院事務局、1915年。
  • 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
  • 『佐賀県大百科事典』佐賀新聞社、1983年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 旧肥前史談会編『佐賀県歴史人名事典』洋学堂書店、1993年。
  • 福岡博編『佐賀 幕末・明治500人』第2版、佐賀新聞社、1998年。
  • 多久市史編さん委員会編『多久市史 人物編』多久市、2008年。