片山古墳 (京丹後市)
片山古墳(かたやまこふん、片山1号墳)は、京都府京丹後市丹後町竹野にある古墳。片山古墳群を構成する古墳の1つ。京丹後市指定史跡に指定されている。
片山古墳 | |
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石室天井石付近概観 | |
別名 | 片山1号墳/本塚/蝙蝠の穴 |
所属 | 片山古墳群 |
所在地 | 京都府京丹後市丹後町竹野(字片山) |
位置 | 北緯35度44分28.23秒 東経135度6分39.50秒 / 北緯35.7411750度 東経135.1109722度座標: 北緯35度44分28.23秒 東経135度6分39.50秒 / 北緯35.7411750度 東経135.1109722度 |
形状 | 不明 |
埋葬施設 | 片袖式横穴式石室 |
築造時期 | 6世紀末-7世紀初頭 |
史跡 | 京丹後市指定史跡「片山古墳」 |
地図 |
概要
編集京都府北部、竹野川河口東岸の日本海を望む丘陵上に築造された古墳である。丘陵上には片山古墳群の他2基や、北東に中期古墳の産土山古墳(国の史跡)が所在するほか、かつては大成古墳群も加えて同一丘陵上で20基以上からなる古墳群を形成した(国道178号によって丘陵は分断)。これまでに発掘調査は実施されていない。
現在では墳丘封土は失われており、元々の墳形は明らかでない。埋葬施設は片袖式の横穴式石室で、南方向に開口した(現在は埋没、北の玄室奥壁側が開口)。丹後半島では最大の玄室規模を誇る石室であり[1]、天井石に使用される巨石は家形石棺の蓋石の形状を呈するとして注目される。副葬品は詳らかでないが、竹野小学校(現在は廃校)の建設の際に6世紀末-7世紀初頭頃の須恵器高坏・長頸壺が出土しており、本古墳も同様の時期と推定される。
遺跡歴
編集埋葬施設
編集埋葬施設としては片袖式横穴式石室が構築されており、南方向に開口した(現在は埋没、北の玄室奥壁側が開口)。石室の規模は次の通り[1]。
- 玄室:長さ6.18メートル、幅約2メートル、高さ約2.64メートル
石室の羨道部の大半は破壊され、玄室にも多量の土砂が堆積する。天井石は2枚で、いずれも砂礫岩の巨石であり、特に奥側の1枚は家形石棺の蓋石を想起させる形状として注目される[1]。
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玄室(奥壁方向)
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玄室(羨道方向)
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天井石(手前から)
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天井石(奥から)
文化財
編集京丹後市指定文化財
編集- 史跡
- 片山古墳 - 1986年(昭和61年)6月18日指定。
脚注
編集- ^ a b c 京丹後市の考古資料 2010.
参考文献
編集- 「竹野ノ古墳群」『京都府史蹟勝地調査會報告』 第一冊、京都府、1919年。 - リンクは国立国会図書館デジタルコレクション。
- 「片山1号墳」『京丹後市の考古資料 -京丹後市史資料編-』京丹後市、2010年。
- 「片山古墳」『京都府の史跡・遺跡ハンドブック』 第2集、京都府教育委員会、2019年。
関連項目
編集外部リンク
編集- 片山古墳 - 京丹後市教育委員会「京丹後市デジタルミュージアム」