焼鮒駅

かつて日本の新潟県黒埼町(現:新潟市西区)にあった新潟交通の駅

焼鮒駅(やきふなえき)は、かつて新潟県西蒲原郡黒埼町大字山田(現新潟市西区山田)にあった新潟交通電車線

焼鮒駅
焼鮒駅(1991年3月)
やきふな
Yakifuna
ときめき (0.6 km)
(1.8 km) 越後大野
地図
所在地 新潟県西蒲原郡黒埼町大字山田*
北緯37度52分5.9秒 東経139度0分45.3秒 / 北緯37.868306度 東経139.012583度 / 37.868306; 139.012583座標: 北緯37度52分5.9秒 東経139度0分45.3秒 / 北緯37.868306度 東経139.012583度 / 37.868306; 139.012583
所属事業者 新潟交通
所属路線 新潟交通電車線
キロ程 6.8 km(白山前起点)
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
開業年月日 1933年(昭和8年)4月1日
廃止年月日 1999年(平成11年)4月5日
*現在は新潟市西区山田
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概要

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構造

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地上駅。平日午前のみ業務を行う簡易委託駅であった。相対式ホーム2面2線を有し、両ホームが構内踏切によって連絡していた。駅舎には出札窓口のほか、自動販売機、トイレ(汲取式)などが設けられていたほか、月潟方面行きのホームに秤が置かれていた[1]

駅舎のすぐ南側を、上越新幹線の高架橋が東西に横断している。東関屋方の線路がカーブしているのは、1964年(昭和39年)の新潟地震によって、曲げられたものである。

駅名の由来

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越後七不思議」の一つに数えられる「焼鮒伝説」にちなむ[2]

駅周辺

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  • 黒埼町立山田小学校(現新潟市立山田小学校
    当駅跡北側に所在する。校地が電車線を挟んで東西に分断されており、東側の校舎と西側のグラウンドが地下通路によって連絡していた。廃線後、線路跡はグラウンドの一部となり、直接移動が可能になった[3]

歴史

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駅跡

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駅施設は全て撤去され、駅の跡地の一部は住宅地となり、線路跡は自転車歩行者専用道路として整備されている。

     
焼鮒駅の跡地。ときめき駅側を望む。(2007年9月23日)
施設が撤去され、駐車場となった駅跡地。ときめき駅側を望む。(2011年9月15日)
自転車歩行者専用道路として整備された駅跡地。ときめき駅側を望む。(2017年4月2日)

隣の駅

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新潟交通
電車線(廃線)
ときめき駅 - 焼鮒駅 - 越後大野駅

出典

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  1. ^ 海津 英夫『昔、電車が走っていた ~ 新潟交通電車線(電鉄)写真集 ~』新潟日報事業者、2021(令和3)年10月14日、39頁。 
  2. ^ 電鉄の今昔(電鉄駅めぐり)(2009年3月11日アーカイブ) - 国立国会図書館Web Archiving Project広報くろさき(平成12年1月号)
  3. ^ 海津 英夫『昔、電車が走っていた ~ 新潟交通電車線(電鉄)写真集 ~』新潟日報事業者、2021(令和3)年10月14日、38-39頁。 
  4. ^ a b c 『JR・私鉄全線 各駅停車6 中央・上信越590駅』小学館、1993年、181頁。

関連項目

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