焦循
焦 循(しょう じゅん、拼音: 、1763年〈乾隆28年〉 - 1820年〈嘉慶25年〉[1])は、中国清代の学者。清朝考証学における揚州学派の主要人物。経学・易学・数学・天文暦学・地誌学・医学・文学・戯曲論など多分野に著作がある[2]。主著に『孟子正義』『論語通釈』『易学三書』[3]。字は里堂または理堂[2]。
人物
編集江蘇甘泉[4](揚州府甘泉県[2]、現在の揚州市[4])の人。易学を家学とする学者の家に生まれる[5]。青年期から40歳まで、飢饉などにより貧困の中、友人の援助を受けつつ科挙対策や数学研究に励む[6]。1801年(嘉慶6年)挙人となる[3]。翌年40歳のとき、会試の不合格や母の病を機に仕官の道を諦め、隠士となる[7][8]。以降、数学から易学や経学の研究へ移る[9]。58歳のとき没する[2]。
友人に阮元や江藩がいる。阮元とは幼馴染にあたり、その族姉を妻としている[10][2]。焦循(里堂)と江藩(鄭堂)は合わせて「二堂」と呼ばれる[11]。
学問
編集焦循の学問の特徴として、「固定化した立場を排除し融通性を重視すること[1]」が挙げられる。例えば、焦循は考証学に属しながら、当時の考証学の硬直化(鄭玄への盲従など)を批判した[12][13][14]。
焦循は戴震と思想傾向が類似するとされる[12]。揚州学派の末裔である劉師培は、「戴震の学問のうち訓詁は王引之、典章は任大椿、義理は焦循に継承された」と述べている[14]。一方で、焦循は戴震に盲従せず、戴震が漢学と宋学の区別に拘泥したことや、『論語』里仁篇の「一貫」の解釈が違うことを批判した[15][16][14]。
数学では、戴震や梅文鼎、ケーグラー(戴進賢)の『暦象考成後編』の学風を継ぎ、中国数学と西洋数学を折衷する立場をとった[17]。阮元の『疇人伝』(東西の数学者・天文学者の列伝)編纂に協力し[11][18]、ミシェル・ブノワ(蒋友仁)『坤輿全図』の地動説に関する箇所を手伝った[17]。著作の『釈輪』ではティコ・ブラーエの体系について、『釈楕』ではカッシーニの楕円運動について扱っている[19]。その他、加減乗除、天元術、『九章算術』劉徽注などを扱った[4][20]。
主な著作
編集数学・天文暦学
編集- 『里堂学算記』
- 『天元一釈』
- 『加減乗除釈』
- 『釈輪』
- 『釈楕』
- 『釈弧』
- 『開方通釈』
経学・易学
編集- 『群経宮室図』 - 礼学書。鄭玄批判を含む[24]。
- 『論語通釈』 - 戴震『孟子字義疏証』を踏まえて書いた[9]。
- 『易学三書』
- 『易通釈』
- 『易図略』
- 『易章句』
- 『孟子正義』 - 『孟子』古注に対する疏[1]。劉宝楠『論語正義』の範となった[12]。
- 『六経補疏』
- 『礼記補疏』
- 『論語補疏』
- 『左伝補疏』
- 『尚書補疏』
- 『周易補疏』
- 『毛詩補疏』
- 『古文尚書辨』
- 『陸氏草木鳥獣虫魚疏疏』 - 『詩経』名物学の書[25]。
- 『毛詩物名釈』
地誌
編集- 『邗記』
- 『北湖小志』
- 『揚州府志』
医学
編集- 『李翁医記』
- 『沙疹吾験篇』
- 『医説』
文学・戯曲論
編集関連項目
編集脚注
編集- ^ a b c d 水上 2013, p. 582.
- ^ a b c d e f 坂出 1983, p. 10.
- ^ a b c 千田 2017.
- ^ a b c 李 2002, p. 265.
- ^ 坂出 1983, p. 19.
- ^ 坂出 1983, p. 11.
- ^ 坂出 1983, p. 16.
- ^ 本田 1965, p. 9.
- ^ a b 坂出 1983, p. 21.
- ^ 澤田 2003, p. 25.
- ^ a b c d 近藤 2001, p. 下143.
- ^ a b c 濱口 1985, p. 84.
- ^ 坂出 1983, p. 26.
- ^ a b c 水上 1994, p. 96.
- ^ 坂出 1983, p. 28.
- ^ 尾﨑 2011, p. 204.
- ^ a b 坂出 1983, p. 13.
- ^ 李 2002, p. 351.
- ^ 坂出 1983, p. 12.
- ^ 坂出 1983, p. 12-14.
- ^ 本田 1965, p. 16f.
- ^ 坂出 1983, p. 52.
- ^ 大谷敏夫『清代政治思想史研究』汲古書院、1991年。ISBN 978-4762924231。289f頁。
- ^ 坂出 1983, p. 25.
- ^ 矢島明希子「陸氏毛詩草木鳥獣虫魚疏の基礎的研究 : 篇目から見る各本の相違」『斯道文庫論集』第50巻、慶應義塾大学附属研究所斯道文庫、2015年、436頁。
- ^ 澤田 2003.
- ^ 芳村弘道「(伝)焦循『詩話粹金』について」『學林』31号、中国芸文研究会、1999年。
- ^ a b 青木 1950, p. 316.
- ^ 中国芸術研究院戯曲研究所 編、岡崎由美;平林宣和;川浩二 監修・翻訳『中国演劇史図鑑』国書刊行会、2018年。ISBN 978-4-336-06220-8。213頁。
参考文献
編集- 青木正児『清代文学評論史』岩波書店、1950年 。NDLJP:1706374
- 尾﨑順一郎「焦循の「一貫」解をめぐって:いわゆる「修己治人」観の特色と意義」『日本中国学会報』第63号、日本中国学会、2011年。 NAID 40019637022 。
- 江藩 著、近藤光男 訳注『国朝漢学師承記』 全3巻、明治書院、2001年。
- 坂出祥伸「焦循の学問」『中国近代の思想と科学』同朋舎出版、1983年(原著1973年)、10-36頁。ISBN 4810403211。
- 坂出祥伸「焦循の『論語通釈』について」『中国近代の思想と科学』同朋舎出版、1983年(原著1981年)。ISBN 4810403211。
- 澤田雅弘「焦循『里堂道聴録』所録の南北書派論・北碑南帖論について」『書学書道史研究』第13号、書学書道史学会、2003年。 NAID 130003704508 。
- 千田大介「焦循『劇説』校読記」『中国都市芸能研究』第15号、中国都市芸能研究会、2017年 。
- 濱口富士雄「焦循とその「考拠」批判」『集刊東洋学』第53号、中国文史哲研究会、1985年。 NAID 110000227842 。
- 本田済「恵棟と焦循」『人文研究』第16-5号、大阪市立大学文学会、1965年。 NAID 120006005274 。
- 水上雅晴「戴震と焦循の一貫説――乾嘉期における時代思潮の変遷」『東方学』第88号、東方学会、1994年。 NAID 40002634786。
- 水上雅晴 著「焦循」、尾崎雄二郎; 竺沙雅章; 戸川芳郎 編『中国文化史大事典』大修館書店、2013年、582頁。ISBN 9784469012842。
- 李迪 編著、大竹茂雄;陸人瑞 訳『中国の数学通史』森北出版、2002年(原著1984年)。ISBN 978-4-627-01941-6。
関連文献
編集- 建部良平「焦循における知性への確信 : 焦循の性善説及び「述」概念解釈の再検討」『年報地域文化研究』第27号、東京大学大学院総合文化研究科地域文化研究専攻、2024年 。CRID 1390018816295183488
- 濱久雄『東洋易学思想論攷』明徳出版社、2014年。ISBN 978-4896199581。
- 水上雅晴 著「焦循『論語通釈』―乾嘉期の漢学批判―」、松川健二 編『論語の思想史』汲古書院、1994年。ISBN 978-4762924705。
- 梁啓超 著、小野和子 訳注『清代学術概論』平凡社〈東洋文庫〉、1974年(原著1923年)。ISBN 4582802451。