無門庵(むもんあん)は、東京都立川市錦町で営業していた懐石料理店、料亭[1][2][3]2019年4月14日に閉店した[1]。隣接する敷地の醸造所ファクトリーカミカゼで料亭用に醸造していた自家製ビール(地ビール)のカミカゼビールについても本項で記す。

概要

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敷地内には離れの和室がいくつかあり、各部屋からは庭園を望むことができた[4]

飲食施設以外も、カフェ、ギャラリーがあった[4]

樋口一葉の『たけくらべ』の原本を所有しており、複本版を常設展示したり、独自の企画展示会を開催していた[4]

歴史

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1938年に「ホテル無門庵」として開業した[2][3][5]

第二次世界大戦中は、立川が重要な拠点であったことから、日本帝国陸軍将校専用の旅館となる[3]。第二次世界大戦末期には、立川陸軍飛行場が近くにあったことから日本帝国陸軍特攻隊となった少年航空兵たちが宿営所となった[2][3]。宿泊した少年航空兵たちは立川陸軍飛行場を飛び立つと無門庵上空で3回旋回してから、目的地へと向かい[2][3]、無門庵で働く人々は白い布をつけたを振って応えたとされる[3]。第二次世界大戦戦後は進駐軍・アメリカ軍兵たちの宿泊所になった[3]

1955年からの砂川闘争の際には、報道陣が大挙して無門庵に押しかけて、取材拠点として利用し、ニュースを発信した[3]

1991年に懐石料理店として再生した[5]

 
オーベルジュときと

2019年に料亭の無門庵、醸造所のカミカゼビールは共に閉鎖となった[1][2][5]。無門庵と醸造所の土地、建物などは立飛グループが買い取り、無門庵の門、別館「たけくらべ」の蔵、石庭など活用したオーベルジュときととして2023年に開業[2]。醸造所は場所を移し、製法や味を一新し2021年より立飛ビールとして製造を行っている[2]

カミカゼビール

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第二次世界大戦戦後に無門庵が醸造開始したビールの商品名がカミカゼビールであった[2]

無門庵以外にも、立川市内飲食店に瓶ビールのカミカゼビールを降ろしており、提供していた店もあった[1][6]

ファクトリーカミカゼ

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ファクトリーカミカゼは無門庵入り口の向かいにあったブルワリー(ビール醸造所)および、ブルーパブ[6]。1階がビール工場で、2階が飲食スペースだった[6]

1999年創業[6]。レシピ開発にあたっては、常陸野ネストビール立ち上げの際にも招聘されたアメリカ合衆国の醸造士マーク・ハモンの指導を受けている[6]

上述のように瓶ビールを降ろしていた飲食店も立川市内にはあったが、樽生として飲めたのは、ここのブルーパブのみであった[6]

スタイル

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2016年時点では以下の2つのスタイル (ビール)を醸造していた[6]。ブルーパブではハーフ&ハーフも提供していた[6]

無門庵で提供される懐石料理を引き立たせるため、すっきりとした味わいが特徴[7]

脚注

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  1. ^ a b c d 《閉店》歴史ある2店舗が……!西国立の懐石料理『無門庵』が閉店、クラフトビールの『ファクトリーカミカゼ』も閉店。4月14日まで”. いいね!立川 (2019年4月8日). 2024年5月31日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h 立川に地ビールの歴史あり 戦前、戦中、戦後…思い受け継ぐ新名産に」『東京新聞』2023年2月9日。2024年5月31日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g h 第17回 市民おもしろ大学開催します」(PDF)『市民活動センター★たちかわ通信』第50巻、市民活動センターたちかわ、2008年9月、2024年5月31日閲覧 
  4. ^ a b c 無門庵(むもんあん) | 2023 TACHIKAWA AWARD”. 立川市商店街連合会. 2024年5月31日閲覧。
  5. ^ a b c 多忙でも読める外食ニュース”. 日本食糧新聞 (2019年6月3日). 2024年5月31日閲覧。
  6. ^ a b c d e f g h くまざわななこ (2016年2月29日). “創業時の味を守り続けて17年【ファクトリーカミカゼ(西国立)】”. 日本ビアジャーナリスト協会. 2024年5月31日閲覧。
  7. ^ a b 日本ビアジャーナリスト協会『日本のクラフトビール図鑑』マイナビ、2015年、73頁。ISBN 978-4839955274 
  8. ^ 「地元醸造の地ビールを楽しむ」『るるぶ南武線』JTBパブリッシング、2016年、34頁。ISBN 978-4533111372 

外部リンク

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