瀬古由起子
瀬古 由起子(せこ ゆきこ、1947年(昭和22年)8月24日[1] - )は、日本の元政治家。日本共産党所属の元衆議院議員(2期)。
瀬古 由起子 せこ ゆきこ | |
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生年月日 | 1947年8月24日(77歳) |
出生地 | 日本 大阪府大阪市 |
出身校 | 京都府立大学文家政学部福祉学科卒業 |
前職 |
医療ソーシャルワーカー 瀬戸市議会議員 |
現職 | NPO法人大紀町日本一のふるさと村 女将 |
所属政党 | 日本共産党 |
配偶者 | 瀬古悦生 |
選挙区 | 比例東海ブロック(愛知4区) |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 1996年10月20日 - 2003年10月10日 |
プロフィール
編集大阪市に生まれ[1]、大阪府立住吉高等学校を卒業後、京都府立大学家政学部[1]福祉学科に入学。在学中に日本共産党に入党。1970年(昭和45年)卒業[1]後、精神科病院の医療ソーシャルワーカーとして就職。1971年3月1日付けの朝日新聞に取り上げられる。
その後、1974年(昭和49年)瀬戸市議会議員に当選し4期14年務め[1]、1989年(平成元年)の第15回参議院議員通常選挙(愛知県選挙区)に出馬するが落選[2]。1990年(平成2年)の第14回通常選挙愛知県選挙区補欠選挙も落選[2]。1992年(平成4年)の第16回通常選挙(愛知県選挙区)落選[2]。
1993年(平成5年)の第40回衆議院議員総選挙落選(旧愛知6区)[3]。1996年(平成8年)第41回総選挙で初当選(比例東海ブロック)[1][4]。2000年(平成12年)第42回総選挙で再選され(比例東海ブロック)[5]、衆議院議員に連続2期在任[1]。2003年(平成15年)第43回総選挙落選(比例東海ブロック)[1][6]。2005年(平成17年)第44回総選挙、2009年(平成21年)第45回総選挙と比例東海ブロックでいずれも国政復帰ならず[7]。
性同一性障害特例法の発案者の一人でもある(法務委員をしていたときに関与)。
2010年(平成22年)1月 常任活動家を退職。日本共産党名誉役員となる。三重県大紀町に移住し「NPO法人大紀町日本一のふるさと村」の運営する「ふるさと村」の女将に就任[8][9]。
政策
編集著作
編集- 『もういいかい? : ハンセン病と私』光陽出版社、2003年。
脚注
編集- ^ a b c d e f g h 『新訂 現代政治家人名事典』291頁。
- ^ a b c 『国政選挙総覧:1947-2016』473頁。
- ^ 『国政選挙総覧:1947-2016』224頁。
- ^ 『国政選挙総覧:1947-2016』235頁。
- ^ 『国政選挙総覧:1947-2016』236頁。
- ^ 『国政選挙総覧:1947-2016』237頁。
- ^ 『国政選挙総覧:1947-2016』238-239頁。
- ^ “せこゆきこです(日本共産党常任活動家当時の公式サイト)”. 2010年9月11日閲覧。[リンク切れ]
- ^ “NPO法人大紀町日本一のふるさと村”. 2010年9月11日閲覧。
- ^ しんぶん赤旗 2002年5月15日
参考文献
編集- 『新訂 現代政治家人名事典:中央・地方の政治家4000人』日外アソシエーツ、2005年。
- 『国政選挙総覧:1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。
外部リンク
編集- せこゆきこです(日本共産党常任活動家当時の公式サイト)[リンク切れ]
- せこゆき子の田舎暮らし(ブログ) - ウェイバックマシン(2011年1月13日アーカイブ分)[リンク切れ]
- NPO大紀町日本一のふるさと村