源致遠
平安時代中期の貴族
源 致遠(みなもと の むねとお、生没年不詳)は、平安時代中期の貴族。文徳源氏、民部大輔・源国光の子。官位は従四位上・備後守。
経歴
編集文章生を経て、円融朝中期に式部丞を務める。のち、巡爵を受け、天元3年(980年)ごろ出羽守として受領に転じた。なお、出羽国への赴任に際して、太政大臣・藤原頼忠から餞別の和歌を贈られている[1]。
花山朝の寛和元年(985年)治国の功労により従五位上に叙せられる。一条朝に入ると但馬守・備後守と引き続き受領を歴任。この間、永祚元年(989年)従四位下、正暦4年(993年)従四位上と昇進を重ねた。長徳3年(997年)致遠の邸宅に強盗が入り、財物を窃取されている[2]。
のち、出家したとされる。
官歴
編集系譜
編集『尊卑分脈』による。