源氏 太郎(げんじ たろう、1929年 - 2019年3月26日)は、日本ハーモニカ漫談家。東京演芸協会理事。落語家としての師匠は春風亭しゅんぷうてい 小柳三こりゅうざ。同期の落語家に9代目入船亭扇橋2代目古今亭圓菊がいる。漫談での師匠は関東漫才の始祖東喜代駒。この時、弟子としての芸名を東 笑児(あずま しょうじ)と名乗っていた。 なお、娘に曲独楽師の三増巳也がいる。

源氏げんじ 太郎たろう
生年月日 1929年
没年月日 2019年3月26日
師匠 春風亭小柳三
東喜代駒
活動内容 ハーモニカ漫談

概要

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首にハーモニカを下げ、打楽器をセットしたギターを抱え、足にはカスタネットという出で立ちで、漫談を交えながら一人で演奏をするという、いわゆる"ワンマンバンド”形式の草分け。 この芸種の日本国内での呼び名は、“八人芸”である。なお八人芸の場合は、ギターでなく三味線を使用した。源氏太郎自身、デビュー当時の第二次大戦直後のGHQキャンプでは、三味線と下駄タップ形式である。 よりインパクトの強い芸にする為に、太神楽の先輩芸人から皿回しの芸を伝授してもらい、以後、トリネタ(演技の最後の決めのネタの事)としてお馴染みの芸となる。

また妻のこのみが太夫、自身は才蔵になり、江戸萬歳を披露することもあった。 2009年11月、妻のこのみがくも膜下出血のため、70歳で逝去。江戸萬歳も解散。2019年2月1日、娘の三増巳也のツイッターで、一年前に引退していたことが公表された[1]

2019年3月26日、死去。90歳没。訃報は、娘の三増巳也のツィートにより公表された[2][3]

受賞歴

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1985年 日本ハーモニカ賞(主催:全日本ハーモニカ芸術連盟、日本ハーモニカクラブ公認)※異例となるお笑い界からの初受賞者

脚注

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  1. ^ 三増巳也”. twitter (2019年2月1日). 2019年2月26日閲覧。 “父の源氏太郎が引退してから1年が過ぎました。思えばきちんとお知らせしていませんでしたのでこの場をお借りして。芸歴70年、今年90歳。”
  2. ^ 三増 巳也 みます みや [@miya3miya3miya3miya3] (2019年5月20日). "訃報: 父 源氏太郎 3月26日に90歳で永眠 既に葬儀は身内で行いました". X(旧Twitter)より2024年1月19日閲覧
  3. ^ 源氏太郎の、死。”. 東京漫才のすべて. 喜利彦山人 (2019年5月23日). 2024年1月19日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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