源季邦

平安時代末期の武将。源義国の三男。八条院蔵人。

源 季邦(みなもと の すえくに/きほう)は、平安時代末期の武将

 
源季邦
時代 平安時代末期
生誕 仁平元年(1151年)?
死没 治承4年5月26日1180年6月20日
別名 足利判官代義房[1]
官位 八条院蔵人
氏族 河内源氏義国流
父母 父:源義国
兄弟 義重義康季邦
義成
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生涯

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源義国の三男。義重義康の弟に当たる[2]

吾妻鏡』治承四年五月二十六日の条によると、治承4年閏5月26日に以仁王の挙兵による宇治川の戦いに源頼政の武将として、平知盛率いる平家の軍勢と戦って、戦死したと記されている。齢30という。義成という子がいたと伝わる。

脚注

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  1. ^ 「尊氏の父祖--頼氏・家時年代考」(『日本歴史』257号)。
  2. ^ 保暦間記』と『本朝世紀』では、季邦(義房)の年齢と活躍期の年代を考慮すると、次兄義康の子で義兼の同母弟の義房と同人物とする。

出典

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  • 臼井信義「尊氏の父祖--頼氏・家時年代考」『日本歴史』257号(日本歴史学会編、吉川弘文館、1969年)