湯浅 宗藤(ゆあさ むねふじ、生没年不詳)は、鎌倉時代末期から南北朝時代武士である。 紀伊国阿氐河荘(阿瀬川荘とも書く)を本領としたので、阿氐河孫六と称した。法名は定仏。父は湯浅宗国宗親の子)。

生涯

編集

元弘元年(1331年)10月、鎌倉幕府の命により楠木正成の拠る下赤坂城を攻略し、その功により地頭職を与えられ、赤坂城の守備を命じられた。

翌元弘2年/正慶元年(1332年)4月、赤坂城を奪還しに攻め寄せてきた正成に敗れ、湯浅党とともに降伏。以降は正成に従い、摂津国河内国方面で幕府軍と戦う。

建武元年(1334年)9月、神護寺紀伊国河上荘預所方雑掌職に補任される。

興国元年/暦応3年(1340年)4月、脇屋義助に従って四国に渡る。

正平6年/観応2年(1351年)2月、後村上天皇の摂津住吉社行幸に供奉。

登場作品

編集

小説

編集