渥美育郎
日本の実業家
渥美 育郎(あつみ いくろう、明治14年(1881年)2月7日 - 昭和38年(1963年)3月26日[1])は日本の実業家。
経歴
編集神戸市に生まれた。
東京高等商業学校(現一橋大学)卒業。大阪商船取締役、海外興業社長、国際汽船・北日本汽船・海南産業・ペルー綿花・南米土地・横浜共立倉庫・大阪建物各取締役・如水会理事等を歴任[3]。墓所は青山霊園。
家族・親族
編集- 同妻・伊都子(元鹿島会長鹿島守之助の長女)
- 同長男・直紀
系譜
編集- 渥美家
中曽根康弘 ┃ ┣━━━┳美智子 ┃ ┃ 小林儀一郎━━━蔦子 ┃ ┗美恵子 ┏渥美昭夫 ┃ ┃ ┃ 渥美育郎━━━╋渥美謙二 ┃ ┃ ┃ ┗渥美健夫 ┃ ┃ ┏渥美直紀 ┣━━┫ ┃ ┗渥美雅也 ┏伊都子 ┃ 鹿島守之助 ┃石川六郎 ┃ ┃ ┃ ┃ ┣よし子 鹿島精一 ┣━━━┫ ┃ ┃ ┃平泉渉 ┃ ┃ ┃ ┃ ┣━━━━━卯女 ┣三枝子 ┃ ┃ ┃ ┃ 鹿島岩蔵━━いと ┗鹿島昭一 ┃ ┃ 梁瀬次郎━━━━┳公子 ┃ ┗弘子 ┃ ┃ 稲山嘉寛━━━━稲山孝英
人物
編集参考文献
編集- 猪野三郎監修『第十版 大衆人事録』(昭和9年)ア九二頁
関連
編集脚注
編集- ^ 『昭和物故人名録 昭和元年~54年』(日外アソシエーツ、1983年)p.15
- ^ 猪野三郎監修『第十版 大衆人事録』(昭和9年)ア九二頁より
- ^ 官報 1925年10月27日