渡邉健
渡邉 健(わたなべ けん、1894年〈明治27年〉7月27日[1][2] - 1952年〈昭和27年〉3月31日[1])は、日本の政治家・医師。衆議院議員(2期)。
経歴
編集茨城県出身[1]。渡邉賢次郎の長男として生まれる[2]。1917年千葉医学専門学校卒[1]。卒業後は陸軍軍医となる[3]。橋田病院に勤務し[3]、独立して1922年に内科医院を開業する[3][2]。この他茨城県議、渡里村長、同在郷軍人会分会長[1]、同農会長などを歴任する[1]。また、上海事変に従軍し[1]、支那派遣軍への慰問歴もある[1]。
1940年1月、第20回衆議院議員総選挙茨城県第1区の再選挙で衆議院議員に当選[1][4]。次の1942年の第21回衆議院議員総選挙には翼賛政治体制協議会(翼協)の推薦を受けて再選。翼政会厚生、農林兼務委員となった[3]。戦後は、翼協の推薦議員のため、公職追放となった[5]。
脚注
編集参考文献
編集- 『翼賛議員銘鑑』議会新聞社、1943年。
- 帝国秘密探偵社編 『大衆人事録 第14版 北海道・奥羽・関東・中部篇』 帝国秘密探偵社、1943年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。