渡辺 氏綱(わたなべ うじつな、延徳元年(1489年) - 永禄6年6月25日(1563年7月15日))は、戦国時代の武将。通称次郎四郎[1]。子に渡辺高綱。
父は渡辺範綱、母は某長房の娘。松平清康・広忠に歴仕し、享禄2年(1529年)下地合戦で討ち死にした父の仇をその場で討ち取った[2]。
永禄6年(1563年)6月25日、三河国浦部村において死去。享年75。法名宗圓。妻は都筑忠政の娘 [2]。
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