渡辺春綱
渡辺 春綱(わたなべ はるつな)は、江戸時代中期から後期にかけての大名。和泉国伯太藩の第6代藩主。伯太藩渡辺家8代。
時代 | 江戸時代中期 - 後期 |
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生誕 | 安永7年9月17日(1778年11月5日) |
死没 | 文化7年3月26日(1810年4月29日) |
別名 | 通称:仲之進 |
官位 | 従五位下、大学頭 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家斉 |
藩 | 和泉伯太藩主 |
氏族 | 三河渡辺氏 |
父母 | 父:渡辺豪綱 |
兄弟 | 春綱、亮綱、則綱 |
妻 | 正室:青木一貫の娘[1] |
子 |
女子 養子:則綱 |
略歴
編集安永7年(1778年)、第5代藩主・渡辺豪綱の長男として誕生した。
天明8年(1788年)1月13日、嫡子となる。寛政5年(1793年)5月16日、父・豪綱の死去により、家督を相続した。同年9月15日、第11代将軍・徳川家斉に拝謁する。同年12月16日、従五位下大学頭に叙任する。