渡辺政綱
渡辺 政綱(わたなべ まさつな、天文13年(1544年) - 慶長元年5月25日(1596年6月20日))は、戦国時代の武将。通称半十郎、新左衛門。
略歴
編集渡辺高綱の次男[1]。永禄2年(1559年)より徳川家康に仕えた。永禄5年(1562年)、東三河の戦いにおいて手柄を立てた。
後に姉川の戦い、三方ヶ原の戦い、天方城攻めでも軍功を立て首級を得た [2]。
天正3年(1575年)の長篠の戦いでは真田信綱を討ち取った。
天正19年(1591年)、武蔵国入間川村にて400石を賜る。慶長元年(1596年)5月25日死去。享年53。法名休岳 [2]。子に渡辺秀綱。
参考文献
編集- 『新訂寛政重修諸家譜 8』(続群書類従完成会 、1965年、106p)
脚注
編集- ^ “渡辺氏”. 2022年12月6日閲覧。
- ^ a b 続群書類従完成会 1965, p. 106.