渡辺政仁
渡辺 政仁(わたなべ まさひと、1967年7月14日 - )は、大阪府豊中市出身の元プロ野球選手(投手→外野手)。左投左打。
基本情報 | |
---|---|
国籍 | 日本 |
出身地 | 大阪府豊中市 |
生年月日 | 1967年7月14日(57歳) |
身長 体重 |
185 cm 88 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 左投左打 |
ポジション | 外野手 |
プロ入り | 1985年 ドラフト3位 |
初出場 | 1997年9月17日 |
最終出場 | 2000年7月19日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
この表について
|
来歴・人物
編集北陽高から、1985年のプロ野球ドラフト会議で読売ジャイアンツから3位指名を受け入団。
プロ2年目の1987年は、MiLBの1A マイアミ・マーリンズ[1]に野球留学した。
同期の桑田真澄とは3年春の府大会決勝で対戦して敗れたが、その試合ではともに登板せず、渡辺は4番・左翼手で、桑田も5番・左翼手で出場した。素質は桑田以上と評されることもあったが、肩と肘の手術を経験するなど満足に投げられないことが多かった。それでも、年間を通し出場した年は二軍でエース級の活躍をし、1990年に二軍で最高勝率、1993年には二軍で最多勝を獲得するなど期待されたが、翌1994年は手術とリハビリで二軍でも出場なしに終わり、結局投手として一軍に昇格することはなかった。
プロ入り10年目となる1995年に外野手に転向し、いきなりイースタン4位となる打率3割1厘をマークし、最終的に野手転向後6年間でイースタンでシーズン2桁本塁打を4回記録するなど、打撃でも非凡なセンスを見せつけた。プロ野球最遅となる入団12年目の1997年に一軍デビューを果たすも、代打で3打席連続三振を喫するなど一軍投手の球には対応できなかった。2000年限りで現役を引退。
現在は、巨人のスカウトを務める[2]。
詳細情報
編集年度別打撃成績
編集年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1997 | 巨人 | 9 | 15 | 15 | 1 | 3 | 1 | 0 | 0 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 0 | .200 | .200 | .267 | .467 |
1999 | 2 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 | |
2000 | 2 | 2 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 | |
通算:3年 | 13 | 18 | 18 | 1 | 3 | 1 | 0 | 0 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 0 | .167 | .167 | .222 | .389 |
記録
編集- 初出場:1997年9月17日、対横浜ベイスターズ26回戦(横浜スタジアム)、6回表に桑田真澄の代打で出場
- 初打席:同上、6回表に五十嵐英樹から三振
- 初安打:1997年9月24日、対阪神タイガース27回戦(阪神甲子園球場)、9回表に河原純一の代打で出場、川尻哲郎から右前安打
- 初先発出場:1997年10月3日、対中日ドラゴンズ27回戦(ナゴヤドーム)、7番・左翼手として先発出場
背番号
編集- 35(1986年 - 1988年)
- 65(1989年 - 2000年)
脚注
編集関連項目
編集外部リンク
編集- 個人年度別成績 渡辺政仁 - NPB.jp 日本野球機構
- 選手の通算成績と情報 Baseball-Reference