渡辺兵四郎
渡辺 兵四郎(渡邉[1]、わたなべ ひょうしろう、1846年4月16日(弘化3年3月21日)[2] - 1932年(昭和7年)5月11日[1])は、日本の実業家、漁業家、政治家。衆議院議員、小樽区長。初名・佐助[3]。
わたなべ ひょうしろう 渡辺 兵四郎 | |
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生誕 |
佐助 1846年(弘化3年)4月16日 ((旧暦)3月21日) 出羽国山本郡能代港 |
死没 | 1932年(昭和7年)5月11日 |
国籍 | 日本 |
職業 | 漁業家、政治家、他多数 |
著名な実績 | 小樽商業会議所会頭、小樽水産組合長、他 |
活動拠点 | 北海道小樽、他 |
親 | 渡辺甚四郎 |
選挙区 | 北海道小樽区 |
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当選回数 | 1回(無効) |
在任期間 | 1908年5月15日 - 1909年12月10日 |
在任期間 | 1912年3月28日 - 1916年2月9日 |
経歴
編集出羽国能代港[3]で渡辺甚四郎の二男として生まれる[2]。12歳まで能代の商家で奉公し[3]、万延元年(1860年)家出して小樽に渡り[4]、山田兵蔵家の店員として勤め、主人からの信頼を得てその一字をもらい受けて兵四郎と改名[3]。1877年に独立し荒物商を営む[3]。
また漁業経営にも乗り出し、ニシン漁網の改良を行い、漁業組合、水産組合を創設して、小樽郡漁業組合頭取、小樽外六郡漁業組合連合会長、小樽水産組合長など務め、北海道水産界の振興に貢献した[1][4]。その他、学務委員、徴兵参事員、小樽区会議員、北海道会議員、同副議長、同議長、小樽商業会議所会頭などを歴任[1]。
1908年5月の第10回衆議院議員総選挙で北海道庁小樽区から出馬し当選したが[1]、1909年12月10日、衆議院議員選挙訴訟の結果、当選が無効と確定した[5]。また1912年3月28日[6]から1916年2月9日[7]まで小樽区長を務めた[4]。
脚注
編集参考文献
編集- 北海道新聞社編『北海道歴史人物事典』北海道新聞社、1993年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 金子信尚編『北海道人名辞書』第二版、北海民論社、1923年。
- 人事興信所編『人事興信録』第4版、1915年。