ヤマハエレクトーンシティ渋谷
ヤマハエレクトーンシティ渋谷は、渋谷区桜丘町8-27にあったヤマハ音楽振興会が運営したレコーディングスタジオ兼ミニライブ会場。「ヤマハビル」とも呼ばれていた[1]。
概要
編集渋谷エピキュラスとして開設
編集1968年に建築された元ボウリング場のビルを転用し、1975年2月にスタジオを開設[2]。主にヤマハ音楽振興会所属アーティストのレコーディングやミニコンサート会場として使われた。その立地条件から「崖の上のヤマハ」と呼ばれ、桜丘町エリアを見下ろすシンボルとして親しまれた[1]。
ヤマハエレクトーンシティ渋谷に
編集1995年10月にヤマハ音楽振興会から株式会社エピキュラスが独立。スタジオは桜丘から目黒のヤマハ音楽振興会地下に移転した(2009年9月30日営業終了)。このため、跡地はヤマハエレクトーンシティ渋谷として改装され、エレクトーン中心のイベントやライブのほか、情報発信の場として利用された[1]。
2018年2月16日、桜丘口地区再開発事業に伴いヤマハエレクトーンシティ渋谷は目黒のヤマハ音楽振興会1階に移転。その後、同年11月17日から12月2日までアートイベント「ARIGATO SAKURAGAOKA by ART PHOTO TOKYO」が行われた[1]後、2019年に取り壊された。
跡地一帯は再開発され、Shibuya Sakura StageのSAKURAサイドとなっている[3]。
渋谷エピキュラス時代の主なレコーディング作品
編集この節の加筆が望まれています。 |
中島みゆきのアルバムのうち、1999年までのほとんどのオリジナルスタジオアルバムがここで制作された。例外は、1980年の7th「生きていてもいいですか」、1994年の22nd「LOVE OR NOTHING」、およびベストアルバムやライブアルバムである。
その他では、TOM★CATの1985年のアルバム、TOM★CAT やSound Scheduleの2006年の楽曲、甘い夜 が制作されている。
主なコンサート
編集この節の加筆が望まれています。 |
東京室内歌劇場27期第83回公演
大江健三郎台本、芥川也寸志作曲オペラ「ヒロシマのオルフェ」(1995年6月3、4、6、7日)
脚注
編集- ^ a b c d “【レポート】再開発で消えゆく渋谷・桜丘町でアートイベント レスリー・キーさんらアーティストが集結”. 渋谷文化プロジェクト (2018年11月20日). 2023年12月7日閲覧。
- ^ “大規模再開発で消えゆく昭和の街並み 渋谷の「ガラパゴス」桜丘町の記憶”. シブヤ経済新聞 (2018年10月16日). 2023年12月7日閲覧。
- ^ “渋谷サクラステージ「再開発の歩み展」開催中 構想から実現まで25年間を振り返る” (2023年12月4日). 2023年12月7日閲覧。