渋河 兼守(しぶかわ かねもり、生没年不詳)は、鎌倉時代の武士。渋河兼忠の子。刑部六郎。
建保元年(1213年)2月、泉親衡の謀反(泉親衡の乱)に加担したとされ、捕らえられ、安達景盛に預けられる[1]。後日死罪となった兼守は、和歌十首を詠んで荏柄天神社へ奉納した。この歌を見た将軍源実朝が感動し、兼守の罪を赦した。兼守はこれに報いて歌ノ橋(鎌倉十橋)を作った[2]。承久の乱で死去。
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