渋井 太室(しぶい たいしつ、享保5年(1720年)9月 - 天明8年6月14日1788年7月17日))は、日本の儒学者を孝徳、通称平左衛門、は子章、太室は。子に、同じく儒学者の渋井小室がある。

生涯

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享保5年(1720年)9月、武蔵国埼玉郡名村(現・埼玉県羽生市)に生まれる。父重之が大学頭林鳳岡に仕えていたのを頼り、14歳で江戸に出て、林家に入門し、井上蘭台に師事した。また、林鳳岡・林榴岡にも就いた。24歳で佐倉藩堀田正亮に侍読として仕える。藩政を補佐し、佐倉藩の文教政策に取り組むかたわら、当時の著名な儒学者滝鶴台秋山玉山細井平洲名越南渓南宮大湫らと交流し見識を深める。天明7年(1787年)9月、正亮の子堀田正順大坂城代赴任に従い、翌8年(1788年)6月14日同地で病没した。

弟子に、林家8代で林家中興の祖といわれる林述斎がいる。また、細井平洲の紹介で、上杉治憲(鷹山)も教えている。