清水 鉱治(しみず こうじ、1886年 - 1925年2月25日)は、日本ホーリネス教会の牧師である。離島伝道に従事した。

山形県最上郡豊田村(現・鮭川村豊田)に沓澤家の次男として生まれる。新庄中学(現・山形県立新庄北高等学校)在学時代に、新庄ホーリネス教会清水俊蔵によりキリスト教に入信する。

新庄中学校卒業後に献身し、聖書学院に入学する。また、清水俊蔵の婿養子となる。1912年に妻が死去してから、伊東同盟教会(日本同盟基督教団伊東教会)で伝道する。1914年5月には新島同盟教会(日本同盟基督教団新島教会)に赴任する。

1925年に肺結核のために杉並救世軍病院で死去する。

辞世の歌は「教のため身はすて小舟かへりみで、この荒磯に朽ちはてんとぞ思ふ。」

参考文献

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  • 『日本キリスト教歴史大事典』教文館、1988年