清作の妻 (1965年の映画)
『清作の妻』(せいさくのつま)は、1965年6月25日に大映が配給した、増村保造監督、主演・若尾文子、田村高廣による、ドラマ映画[2][3]。若尾文子は、この作品で第16回ブルーリボン賞主演女優賞を受賞した[4]。1965年度のキネマ旬報ベストテンでは『宮本武蔵 巌流島の決斗』と並んで第11位となり、ベストテン入りを逃した。1924年、日活が同原作の同名の映画を村田実監督で映画化している。
清作の妻 | |
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The Wife of Seisaku (英題)[1] | |
監督 | 増村保造 |
脚本 | 新藤兼人 |
原作 | 吉田絃二郎 |
製作 | 永田雅一 |
出演者 |
若尾文子 田村高廣 |
音楽 | 山内正 |
撮影 | 秋野友宏 |
編集 | 中静達治 |
製作会社 | 大映 |
配給 | 大映 |
公開 | 1965年6月25日 |
上映時間 | 93分 |
製作国 | 日本 |
言語 | 日本語 |
あらすじ
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病気の父と一家の生計助けるため、お兼は遥かに歳の離れた老人の女になることを余儀なくされた。老人は遺産を残して死んだが、お兼の父もまた他界した。お兼は母と、かつて村八分の扱いを受けながら暮らしていた村へと帰る。ある日お兼は、その村で模範青年として名高い、清作と出会い、やがて結ばれ、二人は幸せな時間を過ごしていたが、やがて日露戦争が始まり、清作は軍へと召集される。 そして、ある日負傷して帰郷する。やがて傷は癒え再び戦地に戻る日が来て、本人も軍国の模範青年たる気概で向かおうとするが、お兼と清作が二人になったとき、突然お兼が五寸釘で清作の両眼を刺す。お兼は2年の服役、清作は軍法会議行きとなったが戦地行きは免れる。 服役を終えお兼が戻った時、清作は「盲になり、卑怯者になってお前の心が分かった。お前がいなかったら、馬鹿な模範兵、世間体ばかりの阿呆だった」と礼を言った。