深萱知代
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深萱 知代(ふかがや ともよ、1996年8月27日 - )は、日本の元女子バレーボール選手。
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基本情報 | ||||
国籍 | 日本 | |||
生年月日 | 1996年8月27日(28歳) | |||
出身地 | 京都府京都市 | |||
ラテン文字 | Tomoyo Fukagaya | |||
身長 | 165cm[1] | |||
体重 | 59kg[1] | |||
血液型 | B[2] | |||
選手情報 | ||||
愛称 | トモヨ[1] | |||
ポジション | L | |||
指高 | 213cm[1] | |||
利き手 | 右[2] | |||
スパイク | 283cm[1] |
来歴
編集幼少期〜中学時代
編集京都府京都市出身。2人姉妹の長女[2]。幼いころから好奇心旺盛で、いろいろな水泳やヒップホップなどの習い事に取り組んだ。バレーボールとの出会いは、母が参加していたママさんバレーについていったこと。その時点ではバレーボールをしていなかったが、小学4年生のとき、友人に誘われたことをきっかけにバレーボールをはじめて夢中になる。本人曰く、性格は「人見知りとは無縁」。プレー中でもそれ以外でも積極的に前に出るタイプで、小・中学生時代から何でも自分でやりたいと思っており、厳しい練習も苦にすることがなく、毎日を楽しく過ごしていた。小・中学生自体にはチームキャプテンを務めたほか、全国大会にも出場。深萱は当時を振り返り「大げさではなく中学校までは挫折知らずのバレーボール人生でした」と語る[3]。
高校時代
編集転機となったのは高校入学。小学生の頃に地元の強豪・京都橘高等学校のバレーボール教室に参加して以来、同学に対して憧れを抱いていた深萱は「絶対ここでやるんだ、私は京都橘に入る!」と決意を持ち、中学時代から速いバレーを意識し練習に取り組んでいた。入学を決めてからは「とにかく嬉しくて、練習が厳しいことも入学前から分かっていたので、あまり抵抗はありませんでした」と語る。しかし、トレーニングにはなんとかついていくことができたものの、実戦練習になると話が変わった。中学時代は「私に上げてくれれば絶対決める」と自信を持っていたが、同学でのゲーム形式の練習では簡単に得点することはできなかった。これまでずっと「自分が一番」と思い続けていた深萱だったが、バレーボール人生ではじめて直面した壁を前に「私って全然すごくないんだ」と思い知らされ、バレー人生で始めての挫折を味わう[3]。
また、高校時代は故障にも苦しんだ。スパイカーとしては決して高くない身長を補うために常に全力でジャンプし、なおかつレシーブもこなさなくてはならない。気づかぬうちに身体を酷使していた深萱は、ある日突然、膝を痛める。スパイクを打つためにジャンプをすることすらままならなくなってしまった。治りかけたと思えば次は足首が、反対側の足が、さらには肩が。どれも大きな故障ではなかったが、同じような状態が続き「何でこんなにケガばっかりしてしまうのだろうか」という喪失感に苛まれた。練習しなければ上手くならないが、練習しすぎれば故障につながるというジレンマに葛藤する。そこで深萱は、自身の身体の柔軟性に問題があるのではと仮説を立て、インターネットやDVDで情報収集し、毎晩のストレッチを日課とするようになる。ストレッチをはじめた当初は身体が硬く、開脚すらままならない状態だったか、それを習慣とするうちに可動域は広がりはじめた。これにより故障もしづらくなり、プレーの面でも「これまで届かなかったボールに手が届くようになった」という[3]。高校時代は優勝を一度も経験することがなかった。3年生のとき、最後のチャンスと望んだ春高も準々決勝で東九州龍谷高等学校に敗北。「こんなに頑張って来たのに、終わっちゃったんだ」と、不完全燃焼なまま高校時代を終えたと後のインタビューで回想している[3]。
関東大学リーグ1部の東海大学への進学を決めた深萱だったが、京都橘高等学校女子バレーボール部の卒部式で三輪欣之監督から「お前は良く言えばオールラウンドプレーヤーだ。ただ悪く言えばどっちも中途半端。今のままだと、スパイクもレシーブもできるけれどそれだけ。大学では強みを見つけて頑張れ」とアドバイスを受ける[3]。
大学時代
編集東海大学へ進学するも、1年生のうちはバレーボールだけでなく、準備や片付けなど雑用の仕事が山積みだった。夜遅くまで練習し、それを終えるとミーティングに参加する。睡眠時間も少なく「結構大変でした」と当時を振り返る。しかし、辛いことばかりではなかった[3]。
リベロ転向を決意したものの、それは決して簡単なことではなかった。もともとレシーブを得意としていたものの、それはあくまで「スパイカーとしては」。リベロとして「レシーブ1本で勝負する」ということとはわけが違う。スパイカー的な視点では「レシーブミスはスパイクで取り返す」という見方もできたが、リベロは自らのミスを自らの手で取り返すことはできない。深萱はポジションによってことなる1つのミスの重みと、それにかかるプレッシャーの違いを思い知った。もともと積極的な性格で「私が決める」という強い気持ちを持った深萱が、チームの縁の下の力持ちであるリベロ転向することは並大抵のことではなかった。「自分には無理だ」と思うこともあったという。しかし、リベロに転向してからこれまで考えなかったことにも考えが及ぶようになり、周囲の意見にも耳を傾けるようになる。入部当初はリベロというポジションに慣れず、毎日「きつい、苦しい」と思っていたが、慣れてくるうちに最上級生たちの覚悟に触れることになる。高校時代までは先生に叱られないようにすることが当たり前だったが、大学では先生から直接的に叱られることはほとんどなく、問題が生じれば選手間で解決しなければならなかった[3]。
深萱が1年生だった当時の4年生たちは、練習のときから妥協なく意見をぶつけ合うことでチームを洗練させ、その年に全日本バレーボール大学男女選手権大会(全日本インカレ)で優勝を果たした。その姿を目の当たりにし「大学で日本一になるためには、ここまで必死でやらないと勝てないんだ」と感じたという。自らが上級生になるにつれ、自身のリベロとしての能力に自信をつけはじめ、周囲を鼓舞する余裕もでき「私が拾ってチームを勝たせるんだ」と考えるようになっていた。また、同時期には高校の頃以上に身体に気をくばり、食事にも気を使うようになっていた。4年生が日本一になる姿を間近で見ていた深萱は、自分たちの代でも絶対に優勝したいたいという気持ちを強め、実際に春季・秋季リーグで優勝を果たす。「最後の全日本インカレも絶対に勝って優勝しよう」と部は一致団結していた[3]。
春季・秋季ともに10勝1敗で優勝を飾った東海大学だったが、その両大会で唯一黒星をつけられていたのが日本女子体育大学だった。シーズンを通して唯一勝利を収められていなかったライバルにリベンジし、優勝を果たしたいと考えていた矢先、日本女子体育大学は準々決勝で筑波大学に敗れる[3]。
優勝が手に届くところまでやってきたこのとき、深萱を擁する東海大学は今大会の準々決勝において、これまで春季・秋季リーグのみならず練習試合ですら一度も負けたことがなかった松蔭大学にフルセットの末に敗北を喫する。ライバルである日本女子体育大学を破っての優勝を意識するあまりに隙が生じていた。この敗北で東海大学の日本一の夢はついえる[3]。
JTマーヴェラス 時代
編集2018年12月27日、JTマーヴェラスへの入団内定が発表。
人物・エピソード
編集高校時代にはバレーボール日本女子代表に選出された古賀紗理那と対戦経験がある[5]。
所属チーム
編集受賞歴
編集個人成績
編集大会 | チーム | 出場 | アタック | バックアタック | アタック 決定本数 |
ブロック | サーブ | サーブレシーブ | 総得点 | |||||||||||||||||||
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試 合 数 |
セ ッ ト 数 |
打 数 |
得 点 |
失 点 |
決 定 率 |
打 数 |
得 点 |
失 点 |
決 定 率 |
セ ッ ト 平 均 |
得 点 |
セ ッ ト 平 均 |
打 数 |
ノ 丨 タ ッ チ |
エ 丨 ス |
失 点 |
効 果 |
効 果 率 |
受 数 |
成 功 ・ 優 |
成 功 ・ 良 |
成 功 率 |
ア タ ッ ク |
ブ ロ ッ ク |
サ 丨 ブ |
得 点 合 計 | ||
V1 2020-21 | JT | 18 | 24 | 0 | 0 | 0 | - | 0 | 0 | 0 | - | - | 0 | - | 32 | 0 | 0 | 1 | 6 | 3.9 | 24 | 10 | 9 | 60.4 | 0 | 0 | 0 | 0 |
V1 2019-20 | 1 | 5 | 0 | 0 | 0 | - | 0 | 0 | 0 | - | - | 0 | - | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | - | 13 | 9 | 1 | 73.1 | 0 | 0 | 0 | 0 | |
V1 2018-19 | 8 | 0 | 0 | 0 | 0 | - | 0 | 0 | 0 | - | - | 0 | - | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | - | 0 | 0 | 0 | - | 0 | 0 | 0 | 0 | |
通算:3大会 | 27 | 29 | 0 | 0 | 0 | - | 0 | 0 | 0 | - | - | 0 | - | 32 | 0 | 0 | 1 | 6 | 3.9 | 37 | 19 | 10 | 64.9 | 0 | 0 | 0 | 0 |
出演
編集YouTube
編集- JT公式チャンネル|【#マーヴェラスチャレンジ】#体育館ラリー(2019年10月7日)
- テレビ大阪|【走れ!みつくに社長】第73回 JTマーヴェラス 連覇おめでとうございます!(2021年4月3日)
脚注
編集- ^ a b c d e f g “深萱知代|選手詳細| Vリーグ オフィシャルサイト”. Vリーグ オフィシャルサイト. 2021年8月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年8月4日閲覧。
- ^ a b c d e 『V.LEAGUE WOMEN チームの顔 2020-21』日本文化出版、2020年発行より引用
- ^ a b c d e f g h i j “深萱知代選手のインタビュー”. JTマーヴェラス (20XX-XX-XX). 2021年8月4日閲覧。
- ^ “選手7名 退部のお知らせ”. JTマーヴェラス (2022年5月12日). 2022年5月12日閲覧。
- ^ “Vリーガーのタテヨココネクション【NECレッドロケッツ古賀紗理那選手編】”. 月バレ.com (2021年6月2日). 2021年8月4日閲覧。
- ^ a b “令和元年度 神奈川県知事杯 神奈川県大学バレーボール選手権大会 個人賞”. 神奈川県大学バレーボール連盟 (2019年1月1日). 2021年8月4日閲覧。
- ^ “深萱知代|選手別成績|Vリーグ オフィシャルサイト”. Vリーグ機構. 2021年8月4日閲覧。
外部リンク
編集プロフィール
- 深萱知代|Vリーグ オフィシャルサイト - ウェイバックマシン(2021年8月4日アーカイブ分)
- 深萱知代|JTマーヴェラス 公式サイト - ウェイバックマシン(2022年5月31日アーカイブ分)
その他