海蔵地区
海蔵地区(かいぞうちく)は、三重県四日市市の地区の一つ。1930年に四日市市に編入された三重郡海蔵村の村域にあたり、四日市市役所海蔵地区市民センターの管轄区域である。
海蔵地区 かいぞう | |
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国 | 日本 |
地方 | 東海地方、近畿地方 |
都道府県 | 三重県 |
自治体 | 四日市市 |
旧自治体 | 三重郡海蔵村 |
概要
編集橋北地区と並び地場産業の萬古焼文化が発達している地域である。 海蔵地区の人口は約1万3000人まで増加をして、マンションや団地の建設で海蔵小学校の児童数が三重県有数となっている。[注釈 1]
地名の由来
編集古来は川沿いに「海蔵(あくら)」とよばれる倉庫群があった。地区内の阿倉川町はその「あくら」に由来。海蔵川の氾濫の為に農作が不向きな土地であった。また川沿いの桜並木は春に賑わいをみせる。
「万古町」は東阿倉川町の一部から独立した地名で、萬古焼の工場が多数あった事から「万古町」と命名された。
地理
編集地区内に海蔵川が流れる。
面積
編集面積は3.65 km2。
地形
編集河川
編集- 主な川
歴史
編集- 中世期は伊勢神宮領であった。
- 江戸時代初期は桑名藩領・紀州藩領・天領に分割統治されていた。
- 江戸時代後期は八田藩領・西条藩領であり、菜種油や和紙の生産が盛んであった。
- 江戸時代後期の1829年(文政12年)に製陶業の田端教正・上島庄助によって 「四日市萬古焼」が築かれた。
沿革
編集脚注
編集注釈
編集- ^ 『四日市市地区要覧』の28頁