浮田継朔
浮田 継朔(うきた つぐもと、寛政8年(1796年) - 明治2年11月29日(1869年12月31日))は、江戸時代末期から明治にかけての人物。八丈島に配流となった宇喜多一族。通称は庄松、儀助、半六。父は宇喜多秀道。子に継安、秀種。弟に勇松、儀三郎。
生涯
編集寛政8年(1796年)、宇喜多嫡家(孫九郎家)の当主宇喜多秀道の長男として生まれる。
文政6年(1823年)、実家に戻り浮田半六家を継いだ父秀道の死を受けて、浮田半六家の家督を相続。
後に隠居して、家督を長男継安に譲る。
参考文献
編集- 立石定夫『戦国宇喜多一族』(新人物往来社、1988年)ISBN 978-4-404-01511-2
- 近藤富蔵『八丈実記 第1巻-第7巻』(緑地社、1964-1976年)