浦添朝喬
浦添 朝喬(うらそえ ちょうきょう、正徳7年(1512年) - 万暦4年4月20日(1576年5月28日))は、琉球王国第二尚氏王統の人。向氏小禄御殿の二世。唐名は尚弘業。童名を松金。尚維衡・浦添王子朝満の長男。
父の尚維衡・浦添王子朝満は、第二尚氏王統の第3代国王尚真王の世子であったが廃嫡され、王位を継がなかった。朝喬はその父のあとを継ぎ浦添間切の按司地頭となるが、父と同じく隠遁生活を送っていたのか、さしたる功績も残さず没している。
系譜
編集父の尚維衡・浦添王子朝満の長男として生まれる。母は呉起良・花城親方宗義の娘。
室は尚真王の七男の尚源道・豊見城王子の娘であり、いとこどうしの婚姻をしている。室との間に六男三女をもうけるが、長男の尚懿・与那城王子朝賢の子、つまり長孫の尚寧は第二尚氏王統の第7代国王となった。また三男の尚弘徳・羽地王子朝元は、妹の峯間聞得大君の家統をついだ。その家はのちに摂政を務める向象賢・羽地按司朝秀を出すことになる名家となり、廃藩まで御殿家の家格を守っている。
- 父:尚維衡・浦添王子朝満 (向氏小禄御殿元祖)
- 母:思乙金按司 (号は圭臺。父は呉起良・花城親方宗義)
- 妹(長女):童名不詳・峯間聞得大君 (未婚)
- 弟(次男):尚弘禧・佐敷王子朝雄
- 弟(三男):向弘瑞・安波茶按司朝孝
- 妹(次女):童名不詳・首里宇和茂理按司