浅野祥雲

日本のコンクリート像作家

浅野 祥雲(あさの しょううん、1891年 - 1978年[1])は、日本コンクリート像作家[1]。本名は、浅野高次郎。

親鸞聖人の像(五色園)

略歴

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1891年明治24年)、岐阜県恵那郡坂本村(現:中津川市)に生まれる。父親は農業の傍ら、土人形を製作する職人であった。父の仕事を継いで土人形製作を始めるが、土では大きな作品がつくれないことから、コンクリートでの作成を思いついたという。1924年大正13年)、33歳のとき名古屋に移住し、映画館の看板を描くなどして生計を立てる。1993年平成5年)から祥雲とその作品群の研究・紹介をしてきたフリーライターの大竹敏之が確認した分で約800体の作品が現存する[1]。ほとんどが身長2メートル以上の人物像(仏像)で、コンクリートの表面にペンキで着色され、一箇所に集中して林立することが特徴である[2]。リアルさ、稚拙さ、ユーモラスさを併せ持った作風で、一度見たら忘れられない強烈さから一部で人気を博している。大竹は祥雲を「唯一無二のコンクリ仏師」と表現している[1]

大竹が各施設で祥雲作品を見て調べ始めたが、作者名以外の情報は当初ほとんどなく、電話帳で浅野姓の人に電話をし続けて2人の娘に行き着き、美術学校は出ずに独学したことや頑固な人柄など取材が進むようになったと回想している[1]

2009年には五色園において作品の修復・保全を主とする「浅野祥雲作品再生プロジェクト」が開始された[3]

作品の現存する主な施設

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桃太郎の像(桃太郎神社)

※ これらのうち五色園、桃太郎神社、関ヶ原ウォーランドを大竹は「祥雲三大聖地」と紹介してきた[1]

その他

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2008年(平成20年)12月12日放送の『タモリ倶楽部』(テレビ朝日)において、「偉大なる造型家 浅野祥雲 没後30年記念 大回顧展!!」と題して作品が紹介された。

2015年(平成27年)4月8日放送の『マツコ&有吉の怒り新党』(テレビ朝日)において、「新・3大 浅野祥雲作・コンクリート像の“忘れられない表情”」と題して作品が紹介された。

関連項目

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脚注

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  1. ^ a b c d e f 大竹敏之「コンクリ仏師 一徹な魂◇愛知などに極彩色の仏像群残した浅野祥雲 真価を紹介◇日本経済新聞』朝刊2020年6月12日(文化面)同日閲覧
  2. ^ カラフルなコンクリート彫刻群に宿る「仏師」の魂”. 日本経済新聞 (2020年6月12日). 2024年3月9日閲覧。
  3. ^ コンクリート仏師「浅野祥雲作品再生プロジェクト」決起集会-今池で開催へ”. サカエ経済新聞 (2009年10月13日). 2024年3月9日閲覧。
  4. ^ 触れると顔が和らぐ 桃太郎に「許された」鬼たちの像:朝日新聞デジタル”. 朝日新聞デジタル (2021年1月6日). 2024年3月9日閲覧。

参考文献

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  • 大竹敏之『コンクリート魂 浅野祥雲大全』青月社、2014年 - 浅野祥雲研究家による初の作品集・研究書である。

外部リンク

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