浅野丈夫
大日本帝国陸軍軍人
浅野 丈夫(あさの たけお、旧漢字表記:淺野 丈夫、1869年11月13日〈明治2年10月10日〉[1] - 没年不明[2])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。位階勲等功級は従四位勲三等功四級[1]。
浅野 丈夫 | |
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生誕 |
1869年11月13日 日本 茨城県 |
死没 | 没年不明 |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1891年 - 1921年 |
最終階級 | 陸軍少将 |
経歴・人物
編集茨城県出身[2][3]。1891年(明治24年)陸軍士官学校第2期卒業[2][3]。
1916年(大正5年)11月に陸軍歩兵大佐・福岡連隊区司令官を経て、1918年(大正7年)7月に歩兵第16連隊長(第13師団、歩兵第15旅団)に任官しシベリア出兵に従軍[2][3]。ウスリーからザバイカル方面において討伐作戦を指揮した[2][3]。その後、1921年(大正10年)6月に陸軍少将に進級と同時に待命、同年10月に予備役に、1928年(昭和3年)4月に後備役に編入した[1][2][3]。
脚注
編集参考文献
編集- 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。