浅越金次郎
浅越 金次郎(あさこし きんじろう、1866年5月23日(慶応2年4月9日)[1] - 1932年(昭和7年)4月28日[2])は、明治から昭和期の数学者、教育者。商船学校教授[3]、立教大学教授[4][5]。数学の泰斗として知られた[5]。
人物・経歴
編集東京出身。1897年(明治30年)より商船学校の教諭、1901年(明治34年)より教授を務める[1]。
1922年(大正11年)、立教大学に商学部が設置され、同学部教授に就任し、商業数学を講じた。この商学部開設時に、日本の商品学の泰斗である坂口武之助も同学部教授に就き、商品学と国税を担った[5]。
立教大学で教授を務めていた時には東京・大井町に居住した[4]。
浅越の弟子には、受験数学書のベストセラーを著した藤森良蔵(旧制立教中学校教諭)がいる。戦時下において文科系の大学であった立教大学が、存続のために理工系学部を創設しようと佐伯松三郎(立教大学卒業生)が尽力していた際、上野陽一(産業能率大学の創始者、立教大学教授)の紹介で佐伯は藤森を紹介してもらったが、その際、藤森は「浅越金次郎先生が存命ならば、当然浅越先生が立教のために加勢したと思うが、私は浅越先生の弟子なので私が代わりにやりましょう。」と理工系学部創設にむけて支援することを快諾し、今野武雄(数学者)やその息子にも協力するように話をつけている[6]。
主な著作
編集- 『弧三角教科書解式』浅越金次郎 解,田中矢徳 閲 攻玉社 1888年10月
- 『常用曲線教科書』教文館 1897年
- 『航海科力学教科書』商船学校 1915年
- 『浅越航海表』商船学校 東京高等商船学校積成会 1928年
脚注
編集- ^ a b 『人事興信録 5版』人事興信所、1918年、あ73頁。
- ^ 『昭和年史 昭和7年史』年史刊行会、1933年、p.672。
- ^ 国立公文書デジタルアーカイブ 『商船学校教授浅越金次郎外十三名叙位ノ件』叙 位裁可書・大正三年・叙位巻二十
- ^ a b 『立教大学新聞 第9号』 1925年(大正14年)1月5日
- ^ a b c 『立教大学新聞 第29号』 1926年(大正15年)3月15日
- ^ 豊田 雅幸「教育における戦時非常措置と立教学院 : 立教理科専門学校の設立と文学部閉鎖問題」『立教学院史研究』第2巻、立教学院史資料センター、2004年3月、83-118頁。